160 彩雲
彩雲
NSP
キャニオン・レコード
(1980年1月)
1 如月(きさらぎ)の詩(うた)
2 いつでも黄昏
3 愛のナイフ
4 浮雲
5 寒い夜はよけいに寒く長い夜が長く
6 夕暮れのチックタック
7 気紛れ風が吹く
8 きれぎれの空から
9 大きな街まで
10 風の眺め
11 海辺に語りて
もうセンセーショナルではヒーローになれない。なにげなさへの共感限りなく
(アルバムのキャッチコピー)
「俺たちそんなに“なさけない”かと…。」
“なにげなさ”を間違って読んだというラジオの会話に、大笑いした記憶。
「個性がない個性」と書かれてあった、新聞のレコード評に、15歳のワカゾーが対抗するだけの語彙のボキャボラリーもなく(まぁ今もそんなに変わらないが)、悶々としていた記憶。
このアルバムがリリースした頃の記憶が鮮明に残っている。
80年代に突入して、活動期のほぼ真ん中にあたる、通産13枚目のアルバムの『彩雲』は、ニューミュージックが音楽業界を一世風靡していた時代だった。NSPは幸か不幸か、ヒットだとかブームだとかとは無縁の場所に住んでいた(ように思う)。しかし天野滋氏があるインタビューで「NSPが好きな人は、NSPだけが好きなんじゃないかな」と言われていたのは図星で、私が大好きだったのは、フォークやニューミュージックではなく、NSPだった。
今40代の自分が、20代だった頃の彼等の音楽を聴いて、みずみずしい!なんて感じるなどと、10代だった私が想像できただろうか。『いつでも黄昏』『浮雲』『きれぎれの空から』…何かを主張するわけでもなく、技巧をこらすわけでもなく、こんな自然な歌が書ける天野さんは天才だ。メロディ、そして3人のコーラスが入ると、そこは過去も現在もNSPの世界に変わりはない。
僕が書くのは詩ではなくて、歌の歌詞だから…と謙遜されつつ、影響された詩人に、天野氏は、宮沢賢治と佐藤春夫を上げている。
中学の時に出会った佐藤春夫の『海べの戀』が強く印象に残っていると語っておられた。
海の歌を作ろうとすると、どうしてもこの詩の影がちらついてしまうと。
こぼれ松葉をかきあつめ
をとめのごとき君なりき、
こぼれ松葉に火をはなち
わらわののごときわれなりき。
わらべとをとめよりそひぬ
ただたまゆらの火をかこみ、
うれしくふたり手をとりぬ
かひなきことをただ夢み。
入日のなかに立つけぶり
ありやなしやとただほのか、
海べの戀のはかなさは
こぼれ松葉の火なりけむ。
『海べの戀』 佐藤春夫
『海辺に語りて』は、儚い道行きの詩。奇しくも佐藤春夫の『海べの戀』は、谷崎潤一郎氏夫人との道ならぬ恋を歌ったものだとか。
12ページのライナーノーツは、詩が直筆。写真集のような、小説の一遍でも眺めているかのような、贅沢な仕上がり。
アメリカンナイーブアートの流れを受けた、独特の味のあるイラストを描かれる矢吹申彦氏が30センチ四方のジャケットを飾る。レコードのビジュアルが大事にされていた時代だった。レコード鑑賞とは、まず視覚で味わうという所作があったと思う。ジャケットデザインというのは、本の装丁に似ている。本や音楽の顔にあたる部分、そこはデザイナーの個性の主張の場ではない。個性とは滲み出るものだ…「個性のない個性」というものが、はからずもデザイナーなどという肩書きがついて回るようになった今だからこそ、その意味も理解できるように思う。
彩雲の名の通り、空を見上げたくなるような、せつない彩りの恋歌に、確かに遠く空にいる天野さんの事を思わずにはいられなくなってしまったけれど、それだけではないような気もまたする。
いつか、どうしようもなくなって身動きがとれなくなった時、
僕を力づけてくれるのは、
真白だった雲が少しずつ染まってあざやかに色付いてゆく
自然の姿なのかもしれない
(彩雲より)
シングルカットされた『愛のナイフ』は、「ふきのとう」の、細坪基佳氏の曲。NSPには珍しく、よそのミュージシャンが曲を提供するのは後にも先にもこの曲だけか。B面の『大きな街まで』のライヴバージョンがお気に入り。
NSP
キャニオン・レコード
(1980年1月)
1 如月(きさらぎ)の詩(うた)
2 いつでも黄昏
3 愛のナイフ
4 浮雲
5 寒い夜はよけいに寒く長い夜が長く
6 夕暮れのチックタック
7 気紛れ風が吹く
8 きれぎれの空から
9 大きな街まで
10 風の眺め
11 海辺に語りて
もうセンセーショナルではヒーローになれない。なにげなさへの共感限りなく
(アルバムのキャッチコピー)
「俺たちそんなに“なさけない”かと…。」
“なにげなさ”を間違って読んだというラジオの会話に、大笑いした記憶。
「個性がない個性」と書かれてあった、新聞のレコード評に、15歳のワカゾーが対抗するだけの語彙のボキャボラリーもなく(まぁ今もそんなに変わらないが)、悶々としていた記憶。
このアルバムがリリースした頃の記憶が鮮明に残っている。
80年代に突入して、活動期のほぼ真ん中にあたる、通産13枚目のアルバムの『彩雲』は、ニューミュージックが音楽業界を一世風靡していた時代だった。NSPは幸か不幸か、ヒットだとかブームだとかとは無縁の場所に住んでいた(ように思う)。しかし天野滋氏があるインタビューで「NSPが好きな人は、NSPだけが好きなんじゃないかな」と言われていたのは図星で、私が大好きだったのは、フォークやニューミュージックではなく、NSPだった。
今40代の自分が、20代だった頃の彼等の音楽を聴いて、みずみずしい!なんて感じるなどと、10代だった私が想像できただろうか。『いつでも黄昏』『浮雲』『きれぎれの空から』…何かを主張するわけでもなく、技巧をこらすわけでもなく、こんな自然な歌が書ける天野さんは天才だ。メロディ、そして3人のコーラスが入ると、そこは過去も現在もNSPの世界に変わりはない。
僕が書くのは詩ではなくて、歌の歌詞だから…と謙遜されつつ、影響された詩人に、天野氏は、宮沢賢治と佐藤春夫を上げている。
中学の時に出会った佐藤春夫の『海べの戀』が強く印象に残っていると語っておられた。
海の歌を作ろうとすると、どうしてもこの詩の影がちらついてしまうと。
こぼれ松葉をかきあつめ
をとめのごとき君なりき、
こぼれ松葉に火をはなち
わらわののごときわれなりき。
わらべとをとめよりそひぬ
ただたまゆらの火をかこみ、
うれしくふたり手をとりぬ
かひなきことをただ夢み。
入日のなかに立つけぶり
ありやなしやとただほのか、
海べの戀のはかなさは
こぼれ松葉の火なりけむ。
『海べの戀』 佐藤春夫
『海辺に語りて』は、儚い道行きの詩。奇しくも佐藤春夫の『海べの戀』は、谷崎潤一郎氏夫人との道ならぬ恋を歌ったものだとか。
アメリカンナイーブアートの流れを受けた、独特の味のあるイラストを描かれる矢吹申彦氏が30センチ四方のジャケットを飾る。レコードのビジュアルが大事にされていた時代だった。レコード鑑賞とは、まず視覚で味わうという所作があったと思う。ジャケットデザインというのは、本の装丁に似ている。本や音楽の顔にあたる部分、そこはデザイナーの個性の主張の場ではない。個性とは滲み出るものだ…「個性のない個性」というものが、はからずもデザイナーなどという肩書きがついて回るようになった今だからこそ、その意味も理解できるように思う。
彩雲の名の通り、空を見上げたくなるような、せつない彩りの恋歌に、確かに遠く空にいる天野さんの事を思わずにはいられなくなってしまったけれど、それだけではないような気もまたする。
いつか、どうしようもなくなって身動きがとれなくなった時、
僕を力づけてくれるのは、
真白だった雲が少しずつ染まってあざやかに色付いてゆく
自然の姿なのかもしれない
(彩雲より)
シングルカットされた『愛のナイフ』は、「ふきのとう」の、細坪基佳氏の曲。NSPには珍しく、よそのミュージシャンが曲を提供するのは後にも先にもこの曲だけか。B面の『大きな街まで』のライヴバージョンがお気に入り。
by tsukinoha
| 2006-02-08 22:38
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