人気ブログランキング | 話題のタグを見る

たまゆらデザイン日記

294 ジャパノロジー〜今晩の番組から

メリークリスマス!
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
我が家は家人の都合でさっさと昨日クリスマスを終えました(笑)。
クリスマスケーキはお店で買ってきたスポンジで仕上げました。クリームを泡立てて、飾り付け。子どもが好きなんですね・・・こういうの。ほんとはスポンジも家で焼けるといいんですけどネ。

さて、さっき何気なく新聞のテレビ欄を見ていましたら、こういう番組を見つけました。

ジャパノロジー NHK深夜1:15〜
ジョー・プライスさんと夫人の悦子さんが江戸絵画の魅力について語る・・・そうです。
江戸絵画ファンとしては、これは見逃せません。と言いつつ、私は寝てしまうので録画することにします。



# by tsukinoha | 2006-12-24 18:23 | 随想

293 ジョン・ルイスのバッハ

293 ジョン・ルイスのバッハ_d0009581_2217378.jpg
J.S.BACH
PRELUDES AND FUGUES
ジョン・ルイス
1985年



1. プレリュード第1番
2. フーガ第1番
3. プレリュード第2番
4. フーガ第2番
5. プレリュード第6番
6. フーガ第6番
7. プレリュード第7番
8. フーガ第7番
9. プレリュード第21番
10. フーガ第21番
11. プレリュード第22番
12. フーガ第22番



20世紀を代表する音楽の最も大きな特徴は、アフリカ音楽だと小泉文夫氏は指摘している。このアフリカ音楽とは、黒人音楽のこと。すなわち黒人と白人の社会的軋轢のなかで生まれたジャズのことを指しています。「ほとんど世界中の音楽が何かしらジャズの影響下にあるといっても過言ではない」「20世紀初頭まで不幸にあえいできたアフリカ民衆の音楽が、実は世界中を制覇しようとしているのです」そう言い切っています。

ジョン・ルイス(1920〜2001)はアメリカ黒人のジャズミュージシャン。ルイス率いるMJQ(モダンジャズカルテット/1952〜1974,1981〜)において、ヨーロッパクラシック音楽(バロック)をジャズに導入したことで知られる。
オペラ歌手だった母親の影響で7歳よりピアノを始める。当時よりバッハのプレリュードとフーガを聴いていた。最も影響を受けた作曲家はバッハ。そしてこのルイスが65歳にして初めてアルバムで公開するバッハのプレリュードとフーガは、日本フォノグラムの企画で実現しました。以下、1985年の解説から抜粋。
実は“ブリッジ”が大好きで、プレリュードとフーガに付されているシャープやフラットの記号をトランプのダイヤモンド、スペード、ハート、クラブにみたててみたわけです。ブリッジはいろんな約束ごとや組み合わせがある。それぞれのプレリュードやフーガのどのセクションに即興演奏を挿入するか、また即興アイデアにしても、私はここでは約束ごとを守った。つまり、全体の調和を維持するためで、私としてはここではバッハ、ここからは私というようなつぎはぎの形にならないようにつとめた。だから即興演奏部もすべてバッハのアイデアが土台になっているし、音楽的に意味が通じるように考えてある。それがまた“ブリッジ”の遊びに似ていたのです。

ラジオで聴いたバッハの音楽の美しさに打たれたルイスは、ただ美しいメロディーに酔ったのではなく、理論的な和声進行をベースに即興演奏を繰り広げ得る可能性に目覚めたという。
主題からはじまっていつのまにか即興演奏になってそして主題で終わる構成は、ジャズそのもののような感じもしますが、やっぱりバッハなのです。そもそもクラシックとジャズの違いは譜面のあるなしだけなのか。ジャズはクラシックまで巻き込んでしまったのか。不思議な感覚に包まれてしまいます。そして、朝、昼、晩、1年中いつ聴いても心地よいと感じるアルバムのひとつです。



# by tsukinoha | 2006-12-22 22:22 | 音楽

292 日本の音

292 日本の音_d0009581_715383.jpg
日本の音
世界のなかの日本の音楽
小泉文夫
1977年 青土社
(画像は1994年平凡社からの刊行されたもの)




白川静先生は、「口」(音よみでサイ。象形では、「口」の左右の先端は少し出っ張り、下部は丸みを帯びている)という文字は、身体の「くち」でなく、それは神にささげる「器」を意味するものと解読された。神前に供えられた「口(サイ)」に木の枝を叩き付けた行為が、(神への祈りが受け入れられることを)可能とする「可」。それでも「許可」がおりないときは、さらに「可」を重ねて、大声で神に威嚇をする・・それが「歌」。
「歌」は人の心を癒すために生れなのではなく、神への訴えを意味したのです(『神さまがくれた漢字たち』p61より抜粋)
「音」という字の上部「立」は、限られた特権を持つ者だけに許された厳粛な儀式に望む人の姿。下部の「口(サイ)」に入る横線は、神の訪れを告げる幽かな響きを示したものと考えられる。つまり、「訪れ」とは「音擦れ」のことであったのかもしれない。

と、長めの助走を経て、やっとこさ本題の『日本の音』に入るわけですが・・・こうやって言葉のひとつひとつの意味を探るだけで、あっというまに時間が過ぎていきます。

明治以降入ってきた西洋音楽は、現代の日本においては当たり前のように毎日どこかで鳴り響いています。日本人でありながら自国の伝統音楽のことについて知る者は、一体どのくらいいるのだろうかというおかしな事態に見舞われていることに気づくことすらない日常(もちろん私もです)。または手の届かない化石のような文化財的扱い。絵画や工芸はまだしも、音という目に見えないものについては、一旦失われてしまったら取り返しのつかないことになってしまいます。

さて、さまざまな文化同様、日本の伝統楽器もまたほとんどが中国から渡ってきたものが元になっているそうです。年月かけて日本流に改造されていくのですね。
『神さまがくれた漢字たち』のなかでは『論語』に記される盲目の楽人(がくじん=演奏者のこと)に孔子が細やかな配慮をしているのを通して、当時盲目の「瞽史(こし)」を尊重する気風がしみついていることがわかるとありました。日本では三味線の音色を響かせ続けた「瞽女(ごぜ)」です。本書『日本の音』においても面白い話を発見しました。
室町幕府の頃、平家琵琶を語る盲法師たちの職業ギルドが容認されていたというのですが、それは江戸幕府まで引き継がれていました。その生活を保護する意味から、あんま、はり、きゅう、地唄、箏曲といった職業も盲人たちのために専有としたそうなのです。「目」の「物語」が「音楽」の物語へとつながっていった(『神さまがくれた漢字たち』より抜粋) 経緯が、中国から日本へと脈々と流れているようで、大変興味深いものがあります。

〈目次〉
I
世界の中の日本音楽
日本音楽の今日と明日
日本文化のなかの伝統音楽
アジアのなかの東洋と西洋
II
日本の音 伝統音楽への入門
正月の芸能と民俗音楽/雅楽/仏教音楽/琵琶楽/能・狂言/尺八とその音楽/箏曲と三曲合奏/三味線音楽/大衆の音楽/現代邦楽
III
日本音楽の基礎理論
音素材/音組織/リズムと形式

「絵」を辿った歴史があるように、「音」という視点での歴史の振り返りがあることを気づかさせてくれる一冊。そして『日本の音』が過去の遺物の集大成本になってしまう恐れを少なからず感じてしまいます。



# by tsukinoha | 2006-12-17 07:20 |

291 神さまがくれた漢字たち

291 神さまがくれた漢字たち_d0009581_21314934.jpg
神さまがくれた漢字たち
白川静 監修
山本史也 著
理論社 2004年





書体についてや、字のなりたちは、文字を扱う仕事に関わる者として、気にしておかなければならないことのひとつ。しかしそんな使命感のような驕りは白川先生の前では一掃されてしまいます。

どうか、この本で、そのゆたかな「漢字」の世界を作りあげてきた中国の人々の想像の跡と、それを、みごとに受け入れてきた日本の人々の苦心の跡を、たずね確かめ、そうして確かめ得たことを、周囲の人たち、また次代の人たちにも伝えていってくださいますように。 白川静(序文より抜粋)

本書は漢字研究の第一人者、故白川静氏の後継者にあたる方の著作で、よりみちパン!セのシリーズ。
ここに知られざる「漢字の物語」が待ちうけています。
「できるかぎりわかりやすく読んでもらうように書かれています」とありますが、漢字習い立ての小学生にはまだまだ早い。大人が読んでちょうどよいくらいではないでしょうか。少なくとも私には白川先生は偉大すぎます。すやすや眠る娘の側で音読。まずは私自身のために。そしてほんの少しでも私が誰かに言葉で伝え語れるように。

追記:白川先生はどのようなお方なのか・・・こちらを参考にどうぞ。



# by tsukinoha | 2006-12-14 21:37 |

290 一木に込められた祈り

290 一木に込められた祈り_d0009581_21551042.jpg
会期ギリギリになって駆け込むようにして東京国立博物館を訪れました。「特別展 一木に込められた祈り 仏像」を見るためです。前回訪れたプライス展から気がつけばもう半年も経っています。時間はつくるものとて、あるべきところにおられる仏さまたちが博物館の一角に集められるということに、やはりひっかかりを持ってしまい足を運ぶのを遅らせてしまいました。私のような俗人はこのような機会でしかお目にかかることができないとわかっていながらです。

「明治のすさまじい廃仏毀釈を通ってのこり得た仏像」(『仏像に想う/上下巻』1974年/梅原猛+岡部伊都子/講談社現代新書より)岡部さんの言葉を胸に抱きつつ会場時間とともに入館します。すでに入り口付近のちいさな壇像の周辺は人だかりができていました。そこを一気につっきって導かれるように中程の十一面観音菩薩(滋賀・向源寺)の前へと進みました。

息を呑むような圧倒的な存在感に、このお方にお会いするために来たんだという確信のようなものがありました。でもそれは私の自我の幻想なのかもしれない・・・いつのまにか涙が溢れ出ました。いろいろの思いを巡らせた一瞬後、ただひたすらに「有り難い」という気持ちに満たされていました。美しいそのお姿。今にも蓮台の前へと進み出でそうな足の運びは真横からはっきりと見てとれました。菩薩さまは今まさに救済に向かわれようとしているのです。

よく聞かれるように、造形を造るために木を彫ったのではなく、もともと木におられる仏を彫りおこしたのだということ・・・実物を前にするとそれが実感できるようでした。木目も荒々しい木の様相そのままに残されているお姿のものも多い。身体と木とが一体化しています。仏が導き出された木のなかにはご神木であったものも数あると聞きます。仏に姿を変えた木の魂。過去日本においてはまさに神と仏は一体であったのです。名もなき工(たくみ)たちは一体どんな想いで刻んだのでしょう。

薄暗い博物館のなか照明で浮かび上がった仏たちの影に見入りました。
見えないところに「たましい」は確かにあるのだ・・ふとそんな思いがよぎりました。



# by tsukinoha | 2006-12-07 21:59 | 展覧会

日々のよろずデザイン観
by tsukinoha
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

最新のトラックバック

お知らせ

記事と関連のないコメントやトラックバックは予告なく削除させていただく場合があります。予めご了承ください。

検索

ブログジャンル

画像一覧