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たまゆらデザイン日記

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445 てくてくお花見

いつもは自転車で洗足池あたりで花見だったのが、今年は江戸のまん中まで足を伸ばしてみました。
東京駅で下車し、まずは昼食をとってから、いざ、皇居東御苑へ。
大手門から入園して、まずは三の丸尚蔵館に立ち寄ります。一昨年(もうそんなになるのか)の伊藤若冲「動植採絵」以来の訪問。あまりの人の多さに適当にやりすごしてしまいましたが、開催中の「富士—山を写し,山に想う—」では奥村土牛、片岡球子、横山大観らの近代日本画家を中心とした豪華な展示で驚きました。いつもは隣の休憩所で引き換えていましたが、そのまま奥のこれまで未知の空間だった江戸城跡まで行くと、本丸のあった大きな芝生の広場でお弁当を広げている人が多くびっくり。天守台跡の高台から眺めのよさを実感し、そのまま北詰橋門まで抜けました。目的は千鳥ヶ淵です。

d0009581_7161824.jpg千鳥ヶ淵は、かれこれ20年前くらいに夜桜見物した以来で、昼間に来るのははじめて。ほんとうに見事な桜が拝めました。が、人もすごすぎでした。若者はあまりおらず、年配の方が多いのが特徴のようです。そして携帯カメラではしょぼい風景しか写せませんでした。

終点はいつも素通りしていた靖國神社です。こちらも“桜まつり”で超ごったがえしていましたが、ここでも大きな菊形紋が目につきました。
ところで、天皇家は何故菊の紋なのか・・・(植物としての菊は奈良時代に中国から渡ってきたというのが通説だからです)という疑問について、あるとき「竹内文書」がその答を教えてくれました。あの図は、日本を中心に世界を十六方位に区分した図だというのです。つまり世界観を表わした図だと。それが菊の花に似ていることから、菊形紋と呼ばれるゆえんだと。たしかにキク科のコスモス(均等がとれたその花の形から秩序を表わす。意味は宇宙ですね)といい、妙に説得力のある説です。ほんとかどうかはわかりませんが・・・と、桜を眺めながら横の菊形紋が気になった日でした。
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by tsukinoha | 2008-03-30 07:20 | 観光

444 桜に想う

気がつくとあっというまに1週間が経ってしまっています。
近所の桜も今日あたりがいちばんの見頃。今年は白洲さんの『西行』でも読み返そうかな、と思っているうちに桜も満開を迎えてしまいました。“宇宙人の本”(バシャール)が予定より長引いてしまったもので・・・。来週の馬込の桜並木のお祭り、もう散ってしまっていますよ〜。(4月の第1日曜と決まっているのです)
画像は昨年の4月1日のご近所。お天気のよさそうな今日は、家族でお花見に出かける予定。
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最近の気になった言葉

私は現在に生きることを考え、過去のことには執着しません。
以後の生活を主に考えて、将来の不安は如何に消滅するかが私の宿題です。
従って私のテーマは真理の追求です。日常の雑音には耳を貸しません。
〈今年100歳を迎えた、ある一般の方の言葉より〉
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by tsukinoha | 2008-03-29 06:22 | 随想

443 今日から春休み

週末に静岡から妹が子どもたちを連れて遊びに来ました。居住する静岡市の小学校は春分の日から一足早く春休みに入ったとのこと。娘のいとこ姉妹はちょうど“めい”と“さつき”(byとなりのトトロ)くらいの歳の差。もうすぐ小6になるお姉ちゃんが幼稚園児の妹の面倒を見ている姿がほほえましいです。二人の年齢のちょうどどまんなかがうちの娘。

お天気のよかった日曜。午前中は散歩がてら大田区立郷土博物館へ。奇しくも今年度の最後の開館日でした。企画展「名所図絵の世界」も最終日。名所図絵とは江戸時代の観光ガイドブック。広重らの名所図絵(こんなものも所蔵している)などを交え、充実した展示・・・をじっくりとという余裕はなかったのですが、江戸時代の等身大の東海道すごろくが床に設置されていて、子どもたちは布で出来た大きなさいころを振ってすごろくあそびを楽しみました。

午後は校庭開放実施日の娘の小学校へ。静岡市には校庭開放という事業はないそうで、珍しがられました。(都会だからあるんですかね?)一輪車、竹馬、なわとび、バドミントンをとっかえひっかえ。たっぷり遊んで大満足の子どもたち。
この日一分咲きだった校庭の桜も今週末には満開になってしまいそう。
今日から学校は春休み。やはり関東地方の桜は、卒業式には間に合わず、始業式・入学式前にはすでに遅く・・・ですね。
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by tsukinoha | 2008-03-26 21:48 | 随想

442 今年も出かけますLFJ

昨夜の浅田真央選手はすばらしかった。冒頭で予測不能の派手な転倒、しかしすぐに気持ちを切り替えての演技。大きな失敗をしてしまった後というのは精神的ダメージが強く、立て直しは難しいと考えるのが常。しかし、そんな失敗を脆ともせず、次々と技を決める浅田選手。なんて美しく強い姿なのでしょう。

閑話休題。

GWは東京国際フォーラムで開催の「ラ・フォル・ジュルネ2008」に娘と出かける予定。今年のテーマは「シューベルトとウィーン」。小学生の音楽の時間のレコード鑑賞で記憶にあるのは「ます」「魔王」といずれもシューベルトです。他にも「野ばら」「アヴェ・マリア」とか・・・みんなが聴いた事ある曲が多いですよね。歌曲王と呼ばれるゆえんです。確実に行けそうな日と、行きたい有料コンサートと兼ね合いで、プログラムとにらめっこ。クラシックは詳しいわけでもないんですが、どれもそそられるものがあります。ラ・フォル・ジュルネというのは“クラシックのポピュラー化”というのがコンセプトのひとつらしいのですが、見事にはまってしまっています。5月6日の夕刻、2つのプログラムをはしごすることにしました。

No.525 ホールB7 17:15-18:00
ブリジット・エンゲラー:ピアノ
ボリス・ベレゾフスキー:ピアノ
【プログラム】
シューベルト/ツェルニー:『ピアノ五重奏曲 イ長調 作品114 D667「ます」(ピアノ四手版)』
シューベルト:『グランド・ロンド イ長調 作品107 D951』
シューベルト:『幻想曲 ヘ短調 D940』


No.546 ホールC 18:45-19:45
“1828年3月26日のコンサートのプログラム”
シュテファン・ゲンツ:バリトン
フィリップ・カサール:ピアノ
テノール未定
ホルン未定
ヴァレリー・ボナール:アルト
プラジャーク弦楽四重奏団
トリオ・ショーソン
コレギウム・ヴォカーレによる男声合唱
ローザンヌ声楽アンサンブル
ミシェル・コルボ:指揮
【プログラム】
シューベルト:『弦楽四重奏曲第15番 ト長調 作品161 D887より第1楽章』
シューベルト:『「十字軍」 D932』
シューベルト:『「星」 D939』
シューベルト:『「さすらい人の月によせる歌」D870』
シューベルト:『「アイスキュロスからの断片」D450』
シューベルト:『「セレナード」D920』
シューベルト:『ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 作品100 D929より第2楽章』
シューベルト:『「川の上で」D943』
シューベルト:『「全能の神 」 D852』
シューベルト:『「戦の歌」D912』



去年(フォーレのレクイエム)のミシェル・コルボの指揮をもう一度!ということで、チケットを求めたのが遅かった昨年の失敗から(Aホールで後ろの方)web先行発売でNo.546のチケットを取りました。晩年(といっても31歳!)、お金のなかったシューベルトに、友人たちが開いてくれたコンサートの曲目の再現。
そして室内楽も聴きたいということで、No.525を。本当は同日の別プログラムを取るつもりでしたが、一般発売の15日、児童館の行事を終え昼頃に自宅に戻ってネットを立ち上げると、目的のチケットは予定枚数終了。すごすぎます。この教訓は来年の「バッハとバロック」にいかしたいと思います!?
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by tsukinoha | 2008-03-22 06:42 | 音楽

441 さくらの前に

d0009581_617144.jpg日曜日、動物園に行く夫と娘に便乗して上野へ。
東京国立博物館の常設展を観に行ってきました。
目当ては橋口五葉の浮世絵版画。とらさんに教えていただいて、上野に呼ばれた感じです。

今日からは「博物館でお花見を」(3/20〜4/6)という企画がはじまりますが、3/25〜の特別展「薬師寺展」前の静けさも手伝って、博物館はとても閑散としていました・・・つまり、おもいきり贅沢な空間だったのです。

←人がいません・・・。


五葉の浮世絵版画は昨年の「大正シック展」から2度目です。d0009581_6224239.jpg東博所蔵のものがあったとはびっくりするやら嬉しいやら。展示は「髪梳ける女」(画像右)をはじめとする人物が3点、はじめて見る風景版画が2点の計5点。「大正の歌磨」とうたわれる五葉。「昭和の広重」こと川瀬巴水とは違った、淡白なようでいて奥行きのあるしっとりした魅力。眼福にあずかりました(ため息・・・)。これだけで目標達成でしたが、やはり本館をぐるりと周ります。平成館の「東京国立博物館コレクションの保存と修理」のコーナーに立ち寄り、その後もうひとつの目的へ。
東洋館の「特別陳列 蘭亭序」。書の名士・王羲之(おうぎし)の最高傑作と賞賛される蘭亭序、その拓本をはじめとする展示です。d0009581_6344491.jpg書の歴史を辿ると必ず登場する王羲之の名。日本語フォントには王羲之の書を見本としたものもあります。

永和9年(353)暮春の初め、王羲之(おうぎし)は会稽山陰(かいけいさんいん)(浙江省(せっこうしょう))の蘭亭(らんてい)に名士を招いて詩会を催しました。せせらぎに浮かべた杯が流れ着く前に詩を賦し、詩ができなければ、罰として酒を飲む、文人ならではの雅宴です。その日、二篇の詩を成した者11人、一篇の詩を成した者15人、詩を成せず罰杯として酒を飲まされた者は16人でした。王羲之はその詩会で成った詩集の序文を揮 毫(きごう)しました。
(ホームページより)


・・・なんて風流な「遊び」なのでしょうか!


茶室のある庭園が公開中(〜4/20)で、はじめて足を踏み入れました。桜の時期はたくさんの人なんでしょうね。
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by tsukinoha | 2008-03-20 06:29 | 展覧会

440 早咲きの桜

年度末なので、何かとせわしないような気がします。

先週はさぼりがちな保護者会に出席。2年間お世話になった担任の先生へと、内緒で進めていたクラス全員(子ども+保護者)の寄せ書きファイルを贈呈すると、ふだん感情を表にださないタイプの先生なのですが、感無量の表情でほろりと・・。そんな先生の様子に、卒業式でもないのに見ているこちらまで、じーんときてしまいました。先生にとって新任ではじめて受け持ったクラスで、当初、親の側としては正直、非常に不安でした。がしかしそれ以上に先生は不安だったことだろうと思います。毎日の手作りの宿題、地域の行事にも参加されて、運動会で子どもたちに「がんばって!」の声援を受ける様子、そんな姿を親の方は見てきました。「学校の先生になりたい」と娘が口にするようになったのも先生を見てきたからです。とかく悪い面ばかりがとりあげられる昨今の教育報道のさなか、感謝の気持ちをわかちあう、ささやかなひとときがとても温かく感じました。

週末は校庭開放日(学校が休日の時に行なう区の事業。PTAが交代でお当番)の当番でした。友達と泥んこ砂遊びに興じている姿は、やはりほほえましいもの。三方を山(丘)に囲まれた珍しい地形にあるこの小学校は、都心に近いながら、「のどか」という言葉がぴったりで、なんというか田舎的雰囲気です。もっと文士がいた頃は田園の残る田舎だったのでしょうが。小学校から徒歩10分ちょっとで龍子記念館ですが、いろいろと所用があり訪問は翌日に持ち越し。

そして日曜。春の陽気に誘われて、『桜芥子図襖』を目当てに龍子記念館に再訪。同じ目的で来られた方や「美の巨人たち」の放送もあってか、先月の閑散とした雰囲気はなく、ほどよい賑わいがいい感じ。美術館の沿道には、早咲きの河津桜がほころびかけていました。おそらく今週〜来週が見頃です。
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by tsukinoha | 2008-03-15 06:32 | 随想

439 20年前の日記-3

翌朝、函館港の朝市に出かける。ここで朝食をとることにしたのだ。適当に入った店でいくら丼を注文。山盛りのいくらがごはんに盛られて至福のひととき・・のはずが、近くにいた、これまた若い男子に「高校生?」と聞かれる。黙って首を振ると「中学生!?」最悪!!!肌年齢がごまかせない今でこそ年相応に見られるようになった?かもしれないが、顔だちのせいか昔から私は常に幼く見られるのだった。娘がお腹にいた34歳の時も「学生さん?」と言われたことがある。

その日の函館からの出航の切符を買い、あっというまに北海道との別れ。青森港に着くと、特急の発車時刻まで少し余裕があったので、青森の街なかを散策する。よくある地方都市の駅周辺のイメージ。人通りもそれなりで、生活の匂いがした。函館、青森、津軽海峡、もう一度訪れることがあるのだろうか・・・午後の木漏れ日が短い旅の終わりを告げているようで、ちょっと切なくなる。青森→盛岡間はベージュの車両に窓枠が赤い昔よく見かけた外見の特急。盛岡からはに新幹線に乗り継ぐ。「これから帰る」と車内から実家に連絡するも、滑るように上野駅に到着してしまうのであった。

それから5年が過ぎた頃、私は品川区に居住(1Kのアパート)を構えることになる。ある時、同じ区内(と言ってもお台場だが)にある船の科学館に出かける機会が訪れた。そこで私が乗船した青函連絡船「羊蹄丸」が接岸していようとは、これも何かの縁かだろうか。後にも先にもあの数日間が私の一人旅だ。津軽海峡の早春の鈍い日射しを忘れることはない。
〈完〉
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by tsukinoha | 2008-03-10 05:32 | 随想

438 20年前の日記-2

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寝台車との乗り継ぎ時間を合わせていたのか、船に乗り込むとほどなく連絡船は出航した。そういえば前に船に乗ったのはいつだろう。高校生の修学旅行で広島から松山に渡った時だったか、もっと遡ると、小学生の時に大型旅客船で名古屋港〜鹿児島港というのがあった。遠方であること、親戚との縁が薄いことなどから、父の実家(鹿児島・志布志)へは3度しか行ったことがなかった。1度目のほとんど記憶がない頃と3度目の祖母の葬儀には飛行機だった。2度目に行ったのは9歳の夏休みで、わざわざ船を選んだのは両親からのプレゼントだったのかな、と思う。いろいろな思いが巡って少し感傷的になる。これも船のせいか。青森港を出て、仏が浦、竜飛岬がゆっくり遠ざかっていく。そこそこいた乗船客がどこからともなく歌い出した「津軽海峡冬景色」がいつのまにか合唱になっていた。ますます感傷的になってしまうじゃないか。
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急に決めた旅だったので宿以外は特に予定を決めていなかった。昼頃に函館に到着するとまずは腹ごしらえに、味噌ラーメンを食す。とろみがあって、濃厚な味は寒い土地ならではのスープという感じ。そしてとりあえず街なかから出ているバスに乗って、トラピスチヌ修道院へ向かうことに。晴天に恵まれた日だったが、さすが北海道、3月に入ってもまだまだ雪が多く、山のなかにある修道は雪に埋もれていた。
疲れが出たのか、帰りのバスで居眠りしてしまったのがいけなかった。気がつくとここはどこ?状態。とりあえず街なかにもどってきたらしいということは周りの景色でわかったので、バスを下車し、宿泊先のホテルにタクシーで向かう。結局、函館山にも五稜郭にも行かず、早めに眠りについたのであった。
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by tsukinoha | 2008-03-09 06:57 | 随想

437 20年前の日記-1

昭和63年(1988年)3月13日。
その日、鉄道連絡船としての使命を終えた青函連絡船は、運行を終了した。
当時は定期刊行物(月刊誌)のめまぐるしい忙しさのなかにいたのだが、2ヵ月振りに休みが、しかも多少まとまってとれることになった私は、思い立って数日後に運行を終える青函連絡船の乗船へと、函館2泊3日の旅に出ることにした。今から20年前のことだ。
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その日の仕事を終えると、恋人(当時)に「行ってきます」を告げ、夜11時台の上野発の夜行列車「ゆうづる」のB寝台車に乗り込む。すでに盛岡までは新幹線が走っていたが、青函連絡船に乗るのだったらやっぱり寝台車だ。母の出身である宮城県北部にはよく遊びに行っていたので、東北本線には馴染みがあったが、岩手の「平泉」以北を列車で通るのははじめてだった。寝台車に乗るのもはじめだった。もちろん青函連絡船も。このはじめてづくしの興奮のせいか全然寝つけなかった。

通路側で窓ごしの景色を眺めていたのだと思う。もっとも暗闇で何も見えなかったのだが。同じように寝つけないという近くの座席の男子がいた。彼は大学受験を終えて実家の青森へ帰るという。東北訛りが親しみを呼んだのか、私には珍しく会話がはずみ、周りから「静かに!」と注意されてしまうほどだった。ところが、何かの拍子で、私が23歳で社会人だと話すと、彼は急によそよそしくなってしまった。私の外見が幼かったので、同年代のつもりで話していたが、5歳も年上だったのでびっくりして・・・とは容易に想像ができるが、結局、翌朝列車を出る時も挨拶もままならないまま別れてしまった。

翌朝、約10時間近くかけて到着しただろうか。上野発の夜行列車を降りると、はたして、青森駅は雪の中、だった・・・!
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by tsukinoha | 2008-03-08 06:48 | 随想

436 お茶を愉しむ

だんらん時、録画しておいた「知るを楽しむ」の白川静氏の人物伝を流してみると、夫・子どもは結構興味深けに観ていました(しめしめ←洗脳!?)。4回目の最終回に放映されたもので、「漢字は国字」であるというテーマ。普通は国字というと、「峠」「裃」などの日本で作られた漢字のことを指すのだそうですが、白川さんはもっと広い意味に捉えていた。(実際国字の定義とは、国家を形成する言語社会で伝統的に通用している文字を指す、ということです)中国から来た漢字ではあるけれど、日本に入った時点から、漢字は日本の漢字に変化していった。それが白川さんがいちばん伝えたかったこと・・漢字に対する思いの根本ではないかと、案内役の松岡正剛さんはおっしゃっていました。
大陸から入ってきた漢字をそのまま使わずに訓読みすることを考えたこと、漢字からかなを発明したこと、真名(漢字)から仮名(ひらがな)への変遷というのは、書・能・茶・花・歌舞伎などの「真行草」への、日本文化を育む根底をつくったことなど、これまでも各所で松岡さん自身何度も披露されたことであろう考えの元が、白川さんにあったことがわかりました。さて、お茶も中国から入ってきたわけですが、「真」の飲み方が時代を経て千利休によって草庵の茶(侘茶)が大成されるということです。


この半年ばかり、お茶の入門教室に通っていた娘に、家でお茶をたててもらいました。薄茶平点前という入門者が最初に稽古する方式ですが、実は千利休が最後に到達した侘茶点前を基礎としているそうです。ふくささばき、茶せんの使い方など、なかなか堂にいってます。ただお菓子食べに行ってたわけではないことがわかりました(笑)。

d0009581_7181678.jpg茶碗は以前私がつくったものです。(右側の2点)
棗がないので湯のみに抹茶を入れてます。

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by tsukinoha | 2008-03-02 07:19 | 日本の伝統文化

日々のよろずデザイン観
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