たまゆらデザイン日記

<   2006年 12月 ( 9 )   > この月の画像一覧




296 さよなら、ありがとう。2006年!

昨日やっとプリントした年賀状に一気に宛名書きを済ませました。
気がつけば今年もあと1日。公私ともにいろいろと変化のあった1年でした。
ここではブログ記事への振り返りをしてみます。

*例年になくたくさん展覧会に足を運んだ
これでも・・・です。私にしてはということで。
印象に残ったものを5つ上げてみたいと思います。
●高島野十郎展(三鷹美術ギャラリー)
 高島野十郎という絵描きをはじめて知ります。画壇と無縁だった画家の気迫ある絵に圧倒。
●花鳥 愛でる心、彩る技(1〜5期)(宮内庁三の丸尚蔵館)
 5回に渡って通いました。素晴らしい動植綵絵を堪能。
●プライスコレクション 若冲と江戸絵画展(東京国立博物館)
 光のうつろいを表現した演出に感激。
●国宝風神雷神展(出光美術館)
 たくさんの画集などで何度も何度も見てきた風神雷神。ほんものに感涙。
●仏像 一木に込められた祈り(東京国立博物館)
 もう言葉を失いました。ありがたい体現をさせていただいた。


*本もわりと読めた。かな?
いちばん読書が進むのは・・・通勤電車の中です!今年読んだもので印象に残った本5册(絞るのが難しい!)を記しておきます。
●煎茶への招待/小川後楽・著/日本放送出版協会
 文人と言えば煎茶の文化。この書籍もう手に入らないかもしれません。ふたたび図書館で借りてこようかな。
●国民のための百姓学/宇根豊・著/家の光協会
 農について、社会についてさまざまに考えさせられる一冊。国民全員に読んでほしい本!と切に思いました。
●古代から来た未来人 折口信夫/中沢新一・著/NHKテキスト
「知るを楽しむ」のテキストですが、読みごたえあります。「冬(ふゆ)」が古代語の生き残りであるというのは興味深い。これから毎年冬を迎えるたびに思いを辿ることでしょう。“古代”へ。
●日本の音/小泉文夫/平凡社
 しょっちゅう音を耳にしているのに、音については知らないことだらけ。目に見えない文化について考えさせられます。
●能楽への招待/梅若猶彦・著/岩波新書
 年末最後の読書は図書館で借りてきた本。能楽最高の美的観念は「幽玄」ではない!?その道の専門の著者の言葉にひとつひとつ頷きながら読みました。


ブログの方もマイペースながら続けることができました。
おおよそ一般的な“デザイン”のイメージとはかけ離れ、また記録的な記事が多いこのブログです。いただいたコメントで学ばせていただくことも多々ありました。読んでいただいたすべてのみなさまに深く感謝したいと思います。ありがとうございました。

どうぞよい年をお迎えください。
[PR]



by tsukinoha | 2006-12-30 07:24 | 随想

295 ジャパノロジー〜のつづき

たまたま新聞欄で発見して知ったジャパノロジーという番組。伝統文化から最新のトレンドまで幅広い分野を世界に向けて発信する番組だそうです。司会はピーター・バラカンと菊地真美。日本語と英語のニカ国語放送ですが、実際のトークは英語。「若冲と江戸絵画」のテーマではスタジオにプライス夫妻を迎えてのトークが中心でした。話はこれまで放送されてきたものとほぼ重複する内容でした。「新日曜美術館」でも流れたプライス邸のVTRを交えておよそ30分程度。
プライス展は東京に続いて京都の展覧会を終えたところです。東京展のはじまった頃に出かけた者としてはなんだかもうすっかり過去の出来事になってしまいましたが、来年は九州、名古屋に巡回。

貴重だったのはこれまでに聞くことのなかった悦子夫人のお話です。
「50〜60年前は普通の家に床の間があって、季節ごとに調度品を変えていたりしたものですが・・・私はそれらを“美術品”とは思っていませんでした」・・・それらは特別なものではなく、生活に身近なものであったことが伺えます。そう言った感覚を現代では「贅沢」と呼んだりしています。

プライスさんのコレクションは主に戦後まもない日本で収集されていったわけですが、身の回りのことでせいいっぱいの暮らしをしてきた時代の様子も伺え、手放した我々(日本人)のことを単に責めることはできないと感じました。また、江戸絵画はプライスさんに救われたのだと改めて思いました。

この「若冲と江戸絵画」の放送は来年1月1日再放送するようです。
[PR]



by tsukinoha | 2006-12-27 05:50 | シネマ&TV

294 ジャパノロジー〜今晩の番組から

メリークリスマス!
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
我が家は家人の都合でさっさと昨日クリスマスを終えました(笑)。
クリスマスケーキはお店で買ってきたスポンジで仕上げました。クリームを泡立てて、飾り付け。子どもが好きなんですね・・・こういうの。ほんとはスポンジも家で焼けるといいんですけどネ。

さて、さっき何気なく新聞のテレビ欄を見ていましたら、こういう番組を見つけました。

ジャパノロジー NHK深夜1:15〜
ジョー・プライスさんと夫人の悦子さんが江戸絵画の魅力について語る・・・そうです。
江戸絵画ファンとしては、これは見逃せません。と言いつつ、私は寝てしまうので録画することにします。
[PR]



by tsukinoha | 2006-12-24 18:23 | 随想

293 ジョン・ルイスのバッハ

d0009581_2217378.jpg
J.S.BACH
PRELUDES AND FUGUES
ジョン・ルイス
1985年



1. プレリュード第1番
2. フーガ第1番
3. プレリュード第2番
4. フーガ第2番
5. プレリュード第6番
6. フーガ第6番
7. プレリュード第7番
8. フーガ第7番
9. プレリュード第21番
10. フーガ第21番
11. プレリュード第22番
12. フーガ第22番



20世紀を代表する音楽の最も大きな特徴は、アフリカ音楽だと小泉文夫氏は指摘している。このアフリカ音楽とは、黒人音楽のこと。すなわち黒人と白人の社会的軋轢のなかで生まれたジャズのことを指しています。「ほとんど世界中の音楽が何かしらジャズの影響下にあるといっても過言ではない」「20世紀初頭まで不幸にあえいできたアフリカ民衆の音楽が、実は世界中を制覇しようとしているのです」そう言い切っています。

ジョン・ルイス(1920〜2001)はアメリカ黒人のジャズミュージシャン。ルイス率いるMJQ(モダンジャズカルテット/1952〜1974,1981〜)において、ヨーロッパクラシック音楽(バロック)をジャズに導入したことで知られる。
オペラ歌手だった母親の影響で7歳よりピアノを始める。当時よりバッハのプレリュードとフーガを聴いていた。最も影響を受けた作曲家はバッハ。そしてこのルイスが65歳にして初めてアルバムで公開するバッハのプレリュードとフーガは、日本フォノグラムの企画で実現しました。以下、1985年の解説から抜粋。
実は“ブリッジ”が大好きで、プレリュードとフーガに付されているシャープやフラットの記号をトランプのダイヤモンド、スペード、ハート、クラブにみたててみたわけです。ブリッジはいろんな約束ごとや組み合わせがある。それぞれのプレリュードやフーガのどのセクションに即興演奏を挿入するか、また即興アイデアにしても、私はここでは約束ごとを守った。つまり、全体の調和を維持するためで、私としてはここではバッハ、ここからは私というようなつぎはぎの形にならないようにつとめた。だから即興演奏部もすべてバッハのアイデアが土台になっているし、音楽的に意味が通じるように考えてある。それがまた“ブリッジ”の遊びに似ていたのです。

ラジオで聴いたバッハの音楽の美しさに打たれたルイスは、ただ美しいメロディーに酔ったのではなく、理論的な和声進行をベースに即興演奏を繰り広げ得る可能性に目覚めたという。
主題からはじまっていつのまにか即興演奏になってそして主題で終わる構成は、ジャズそのもののような感じもしますが、やっぱりバッハなのです。そもそもクラシックとジャズの違いは譜面のあるなしだけなのか。ジャズはクラシックまで巻き込んでしまったのか。不思議な感覚に包まれてしまいます。そして、朝、昼、晩、1年中いつ聴いても心地よいと感じるアルバムのひとつです。
[PR]



by tsukinoha | 2006-12-22 22:22 | 音楽

292 日本の音

d0009581_715383.jpg
日本の音
世界のなかの日本の音楽
小泉文夫
1977年 青土社
(画像は1994年平凡社からの刊行されたもの)




白川静先生は、「口」(音よみでサイ。象形では、「口」の左右の先端は少し出っ張り、下部は丸みを帯びている)という文字は、身体の「くち」でなく、それは神にささげる「器」を意味するものと解読された。神前に供えられた「口(サイ)」に木の枝を叩き付けた行為が、(神への祈りが受け入れられることを)可能とする「可」。それでも「許可」がおりないときは、さらに「可」を重ねて、大声で神に威嚇をする・・それが「歌」。
「歌」は人の心を癒すために生れなのではなく、神への訴えを意味したのです(『神さまがくれた漢字たち』p61より抜粋)
「音」という字の上部「立」は、限られた特権を持つ者だけに許された厳粛な儀式に望む人の姿。下部の「口(サイ)」に入る横線は、神の訪れを告げる幽かな響きを示したものと考えられる。つまり、「訪れ」とは「音擦れ」のことであったのかもしれない。

と、長めの助走を経て、やっとこさ本題の『日本の音』に入るわけですが・・・こうやって言葉のひとつひとつの意味を探るだけで、あっというまに時間が過ぎていきます。

明治以降入ってきた西洋音楽は、現代の日本においては当たり前のように毎日どこかで鳴り響いています。日本人でありながら自国の伝統音楽のことについて知る者は、一体どのくらいいるのだろうかというおかしな事態に見舞われていることに気づくことすらない日常(もちろん私もです)。または手の届かない化石のような文化財的扱い。絵画や工芸はまだしも、音という目に見えないものについては、一旦失われてしまったら取り返しのつかないことになってしまいます。

さて、さまざまな文化同様、日本の伝統楽器もまたほとんどが中国から渡ってきたものが元になっているそうです。年月かけて日本流に改造されていくのですね。
『神さまがくれた漢字たち』のなかでは『論語』に記される盲目の楽人(がくじん=演奏者のこと)に孔子が細やかな配慮をしているのを通して、当時盲目の「瞽史(こし)」を尊重する気風がしみついていることがわかるとありました。日本では三味線の音色を響かせ続けた「瞽女(ごぜ)」です。本書『日本の音』においても面白い話を発見しました。
室町幕府の頃、平家琵琶を語る盲法師たちの職業ギルドが容認されていたというのですが、それは江戸幕府まで引き継がれていました。その生活を保護する意味から、あんま、はり、きゅう、地唄、箏曲といった職業も盲人たちのために専有としたそうなのです。「目」の「物語」が「音楽」の物語へとつながっていった(『神さまがくれた漢字たち』より抜粋) 経緯が、中国から日本へと脈々と流れているようで、大変興味深いものがあります。

〈目次〉
I
世界の中の日本音楽
日本音楽の今日と明日
日本文化のなかの伝統音楽
アジアのなかの東洋と西洋
II
日本の音 伝統音楽への入門
正月の芸能と民俗音楽/雅楽/仏教音楽/琵琶楽/能・狂言/尺八とその音楽/箏曲と三曲合奏/三味線音楽/大衆の音楽/現代邦楽
III
日本音楽の基礎理論
音素材/音組織/リズムと形式

「絵」を辿った歴史があるように、「音」という視点での歴史の振り返りがあることを気づかさせてくれる一冊。そして『日本の音』が過去の遺物の集大成本になってしまう恐れを少なからず感じてしまいます。
[PR]



by tsukinoha | 2006-12-17 07:20 |

291 神さまがくれた漢字たち

d0009581_21314934.jpg
神さまがくれた漢字たち
白川静 監修
山本史也 著
理論社 2004年





書体についてや、字のなりたちは、文字を扱う仕事に関わる者として、気にしておかなければならないことのひとつ。しかしそんな使命感のような驕りは白川先生の前では一掃されてしまいます。

どうか、この本で、そのゆたかな「漢字」の世界を作りあげてきた中国の人々の想像の跡と、それを、みごとに受け入れてきた日本の人々の苦心の跡を、たずね確かめ、そうして確かめ得たことを、周囲の人たち、また次代の人たちにも伝えていってくださいますように。 白川静(序文より抜粋)

本書は漢字研究の第一人者、故白川静氏の後継者にあたる方の著作で、よりみちパン!セのシリーズ。
ここに知られざる「漢字の物語」が待ちうけています。
「できるかぎりわかりやすく読んでもらうように書かれています」とありますが、漢字習い立ての小学生にはまだまだ早い。大人が読んでちょうどよいくらいではないでしょうか。少なくとも私には白川先生は偉大すぎます。すやすや眠る娘の側で音読。まずは私自身のために。そしてほんの少しでも私が誰かに言葉で伝え語れるように。

追記:白川先生はどのようなお方なのか・・・こちらを参考にどうぞ。
[PR]



by tsukinoha | 2006-12-14 21:37 |

290 一木に込められた祈り

d0009581_21551042.jpg
会期ギリギリになって駆け込むようにして東京国立博物館を訪れました。「特別展 一木に込められた祈り 仏像」を見るためです。前回訪れたプライス展から気がつけばもう半年も経っています。時間はつくるものとて、あるべきところにおられる仏さまたちが博物館の一角に集められるということに、やはりひっかかりを持ってしまい足を運ぶのを遅らせてしまいました。私のような俗人はこのような機会でしかお目にかかることができないとわかっていながらです。

「明治のすさまじい廃仏毀釈を通ってのこり得た仏像」(『仏像に想う/上下巻』1974年/梅原猛+岡部伊都子/講談社現代新書より)岡部さんの言葉を胸に抱きつつ会場時間とともに入館します。すでに入り口付近のちいさな壇像の周辺は人だかりができていました。そこを一気につっきって導かれるように中程の十一面観音菩薩(滋賀・向源寺)の前へと進みました。

息を呑むような圧倒的な存在感に、このお方にお会いするために来たんだという確信のようなものがありました。でもそれは私の自我の幻想なのかもしれない・・・いつのまにか涙が溢れ出ました。いろいろの思いを巡らせた一瞬後、ただひたすらに「有り難い」という気持ちに満たされていました。美しいそのお姿。今にも蓮台の前へと進み出でそうな足の運びは真横からはっきりと見てとれました。菩薩さまは今まさに救済に向かわれようとしているのです。

よく聞かれるように、造形を造るために木を彫ったのではなく、もともと木におられる仏を彫りおこしたのだということ・・・実物を前にするとそれが実感できるようでした。木目も荒々しい木の様相そのままに残されているお姿のものも多い。身体と木とが一体化しています。仏が導き出された木のなかにはご神木であったものも数あると聞きます。仏に姿を変えた木の魂。過去日本においてはまさに神と仏は一体であったのです。名もなき工(たくみ)たちは一体どんな想いで刻んだのでしょう。

薄暗い博物館のなか照明で浮かび上がった仏たちの影に見入りました。
見えないところに「たましい」は確かにあるのだ・・ふとそんな思いがよぎりました。
[PR]



by tsukinoha | 2006-12-07 21:59 | 展覧会

289 ひらがなと漢字

「かんじは さいしょは かんたんな えのようなものでした。」
2学期になって漢字の勉強がはじまり、毎日少しずつ増えてきているようですが、1年生のこくごは、まずは「ひらがな」を正しく読み書きできることからのスタートでした。
ひらがなを誰が考案したのかについては依然謎だそうですが(空海説もありましたが)いつ公式に使用されるようになったのかは明確と言う事です。延喜5(905)年4月18日。ひらがなで書かれた公文書、古今和歌集完成。

   以→い
   呂→ろ
   波→は

というように、漢字が変化してひらがなが考案される以前は、万葉がなと言って漢字を日本の言葉に合わせて使用するということが行われていました。

   夜久毛多都→やくもたつ(八雲立つ)

現代の私たちが見るととっても変ですね。


以下、先日放送の「その時歴史が動いた」ひらがな革命〜国風文化を生んだ古今和歌集〜を元に、ひらがな誕生の裏にあったいきさつを大雑把に記録をしておきたいと思います。

当時、ひらがなは主に和歌に使用されていましたが、それはあくまでもプライベートなものとされ、公式の文書はすべて漢語で書かれていました。すべてのやり方を中国を手本にしていたのです。律令制の崩壊の危機、破綻寸前の国家財政に、抜本的な政治の改革が求められていた平安時代中期。当時官僚のトップだった菅原道真は、衰退しつつある唐を頼らずに日本独自の改革が必要と考えます。漢詩・漢文に熟達していた道真は、当然のごとく「かな」に何ら価値を認めていなかった。しかし律令制(唐のやり方)を無視するような政策は強引に写り、官僚たちの反感をかいます。そしてライバル藤原時平の攻略で突然の左遷。一方の時平は、幼少より藤原家の女たちのたしなみであった「かな」に親しんできた。国を変えていくには、まず官僚たちの漢文崇拝の意識を改革しなければならない。そこで「かな」に着目。紀貫之らに編纂を命じ、ひらがなを公式のものとするのでした。


   やまとうたは 人の心を種として よろずの言の葉とぞなれりける

古今和歌集の冒頭はこのようにはじまっています。漢字文化に対するかな文化の宣言と見てとれます。かなが公に認められたということで、以後、『源氏物語り』『枕草子』、寝殿造り、十二単・・・などの国風文化が花ひらきました。

そこからおよそ300年、鎌倉時代の随筆『方丈記』の頃には和漢混淆文が確立されます。漢字とかなが混じりあうことで、日本語はいっそう豊かな表現を獲得していきました。「漢」の道真、「かな」の時平、生前袂を分かった2人のライバルが日本語という言葉の中で永遠に手をたずさえるようになったのです。
[PR]



by tsukinoha | 2006-12-02 15:54 | 日本の伝統文化

288 いやいやえん

d0009581_6172057.jpg
いやいやえん
中川李枝子
1962年
福音館書店



新しい書籍との出会いは新鮮な風をもたらせてくれますが、過去に読んだものを読み返すということは、さらに味わいに深みを出すもののような気がします。
そういった意味では、今自分が繰り返し読んで(あげて)いるのは絵本や童話かもしれません(笑)。いくつかの童話は自分自身が子どもの頃読んで好きだったものがあります。
『いやいやえん』もそのひとつ。しかしどうして好きだったか、私は子どもの頃の気持ちを忘れてしまいました。そのかわり、大人になって読んでみてはっとさせられることもあります。

まい日、おべんとうがおわると、ほしぐみは「じのほん」、ばらぐみは、「えのほん」をせんせいによんでもらいます。(本文2ページ)

ここでいうほしぐみは年長で、ばらぐみは年中、年少ということになっています。

えのほん・・・絵本はビジュアルを読むという視覚からの情報があることに対して、字の本というのは想像力が必要です。大きい組の子は経験数が増えた分だけ想像の幅が大きくなっていることがわかりますが、私たちがふだん本を読むという行為などで感じる気持ちの振幅そのものは“ビジュアル以前”なのだという気がしてきました。

字の本に秘められた想像の源泉がいかほど無限なものであるか。ビジュアルというのはいかに人の心理を固定化させてしまうか。これはふだんの仕事に反映させてみるてもとても納得させられるものがあります。ラフの段階では想像の幅に広がりがあるのに対して、ブラッシュアップしたものにはかなりイメージが定着してまっている。
人同士のやりとりではやはりその過程が重要です。


保育士だった頃の経験が、絵本や童話へとつながっていった中川李枝子さん。『いやいやえん』も『ぐりとぐら』も勤められていた保育園から生まれたお話だそうです。1935年生まれ。
トトロの『さんぽ』の作詞も中川さんです。
[PR]



by tsukinoha | 2006-12-01 06:19 |

日々のよろずデザイン観
by tsukinoha
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

最新のトラックバック

試合で勝つための“8つの..
from オリンピック総合コーチが教え..
もう中学生 最新情報 -..
from Nowpie (なうぴー) ..
ペニーオークション詐欺
from ペニーオークション詐欺
保育士の求人
from 保育士の求人
ルービンシュタインのシュ..
from クラシック音楽ぶった斬り
皇室の名宝ー日本美の華 ..
from Art & Bell by ..
バドミントン練習 バドミ..
from バドミントン練習 バドミント..
道路地図
from 道路地図
ミネラルウォーター
from ミネラルウォーター
阿修羅さま
from 裕子ねーんね

お知らせ

記事と関連のないコメントやトラックバックは予告なく削除させていただく場合があります。予めご了承ください。

検索

ブログジャンル

画像一覧