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たまゆらデザイン日記

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287 本日のバタバタ

夕方5時。最寄駅まで来てくださった代理店の方に、明日掲載予定の新聞広告の入稿原稿一式お渡しして本日のノルマどうにか終了!ほんとに明日の朝刊に載るんだろうか???あさってのマチガイでは???

ギリギリだった。
昨日はこれから「さぁ打ち合わせ」という時に小学校から呼び出しがあり、「学校で吐いちゃいました」と連絡があったのでした。あせって段取りつけてお迎え。放課後(といってもすでに暗くなってるし・・・)保健室に先生が残っていてくださったのだった・・・(頭下げ)。

小児科へ行くと「流行ってますよ〜」と言われる。でも熱も出なくて調子悪くなかったら明日学校行っても大丈夫でしょうとのこと。そして・・・娘は一晩寝て奇跡的に(?)回復しました。学校も休みたくなかったし、児童館の囲碁大会にどうしても出たかったもよう。

今日午前中に製版入稿(印刷の入稿)しなければならない広告があったので、午前中は職場にいて午後は自宅作業にさせてもらおうという予定にしました。が、表記に関する修正がちょこちょこ入り、やってもやってもなかなか終了しない・・・(午前中って言ってたのに〜)。昼食を取る間もなく結局自宅に持ち帰り、最終作業を終えたのでありました。

子どもも大人も感染性胃腸炎が流行っているようです。
まずは、手洗い、うがいですね。気をつけましょう。


↓ナイチンゲール(一応・・・絵本の挿し絵を真似して描いた娘)
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by tsukinoha | 2006-11-29 21:27 | 随想

286 遥かなる約束

録画しておいた「美の巨人たち」の写真家・入江泰吉(生涯にわたって大和路を撮り続けた)も、とてもよかった〜のですが、今日は珍しくドラマの話題です。フジテレビ系・二夜連続のスペシャル番組。昨晩放送の2日目「遥かなる約束・50年の時を越えた運命の愛」。

1997年3月24日、52年ぶりに祖国の土を踏んだ蜂谷弥三郎さんは、妻の久子さんの待つ鳥取駅で50年振りの再会を果たしました。実話を元にしたドラマです。

終戦直後、家族と住む平壌の家から、スパイという身に覚えのない容疑で弥三郎さんはソ連兵に連行されました。断腸の思いで妻の久子さんは、まだ8ヶ月の娘・久美子さんを抱え日本に帰りました。
シベリアの強制収容所を出た後も、当局から帰国を許されず、常にKGBに監視されていた弥三郎さんですが、生きて日本に帰るために必死に日々を働いて過ごします。そして同じような境遇をもつロシア女性クラウディアさんとの出会い。二人はお互いの身の上を語り合いながら少しずつ惹かれていき、ともに暮らすようになりました。

ソ連崩壊後、監視が緩んだところ、思いがけず妻・久子さんと娘・久美子さんの消息を知ります。「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはできない」クラウディアさんは日本の家族のことを思い、弥三郎さんを日本に帰す決心をしました。しかし弥三郎さんは37年間連れ添ったクラウディアさんをひとり残して行けないと同意しません。それでも揺らぐ事ない決意のクラウディアさんに、ついに弥三郎さんは日本へ帰ることにしました。

50年も夫の帰りを信じて待ち続ける久子さんもすごいけれど、背中を押してくれたロシア女性のクラウディアさんの姿に胸をえぐられそうでした。BGMに「ひまわり」の主題歌(戦争によって引き裂かれた夫婦の悲劇を描いた反戦映画/1970年イタリア)が流れていましたが、これが本当にあった話だと思うと・・・。ドラマ観てこれほどに泣いたことはありません。いろいろ考えもさせられました。再放送の機会があったらおすすめしたい番組です。
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by tsukinoha | 2006-11-26 21:01 | シネマ&TV

285 はじめての七宝

昨夜の美の壷は七宝でした。
1週間前に親子で七宝焼きに参加してきたばかりだったので、放送を楽しみにしていました。

娘はもちろんのこと、私自身、七宝焼きを体験したのははじめてです。いつも学童保育でお世話になっている児童館の行事の一環で、参加は6〜7組の親子での少人数。子どもはブローチ(りんごまたはぶどう)、親の方はスプーンの飾り部分で、料金は材料費のみの252円。児童館の先生が教えてくださいました。
釉薬の色見本を見ながら仕上がりのデザインのスケッチを描いてスタート。次に銅板を洗浄材で洗ったあとに釉薬をのっけていくのですが、この案配加減が大変でした。出来上がると専用の機械で800℃で焼きます。焼き具合は先生がみてくださいました。熱を冷ました後にブローチはブラシを使って水でゴシゴシ。スプーンの方は際をヤスリでゴシゴシ。正味1時間半でしたがなかなか楽しいひとときでした。

七宝の釉薬はガラス質の原料に金属などで色を出したものだそうです。「赤い色は難しいのでなるべく違うのにしてくださいね〜」と先生がおっしゃっていました。赤い色は熱を通しやすいからなのかな〜?などと思っていましたが、番組で赤透(あかすけ)という透き通るルビーのような七宝が珍重されたと出ていて、「!」と思いました。もちろん教室などで使用されるふつうの赤とは違うと思いますが、赤透のその美しい色を出すには熟練した職人技を要して、とても難しいのだそうです。

刀の鍔などに用いた七宝は武士階級の没落とともに消えゆく運命だったところ、幕末尾張の国の一人の職人の手により蘇りました。そして明治に入って急速に発展していったそうです。19世紀後半の万国博覧会〜ジャポニスム〜アール・ヌーヴォーへつながるわけですね。ところが工芸品は美術品ではないということで、絵画などと比べて正当な評価を得られなかった・・・と、そこからまたびっくりするような技術・・金属線を残さない無線七宝が誕生したということです。

それにしても七宝で細密画やぼかしをやってしまうなんて信じられません。スプーンの飾りであたふたして抽象画になってしまったような自分には、ひれ伏すしかないようです(笑)。
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by tsukinoha | 2006-11-25 16:46 | 子ども

284 古代から来た未来人 折口信夫

NHK教育の「知るを楽しむ」。
月曜夜の辻信雄先生の「ギョッとする江戸の絵画」もいよいよクライマックスですが、ひそかに楽しみにしている火曜日の中沢新一が語る折口信夫も来週が最終回。
後にわかったことなのですが、折口が晩年を過ごした東京・大井の出石(いづるいし/現・西大井3丁目付近)地区は、私が最初にひとり暮らしをはじめた場所でした。そんな単純な理由でずっと折口信夫が気になっていたのですが、とにかくよい機会の訪れでした。

d0009581_6571782.jpgテキストの三波晴夫との取り合わせがなんとも妙です。
4週間で終了する講座なので一緒になっています。
(三波晴夫のテキストもなかなか興味深い)

第1回 「古代人」の心を知る
第2回 「まれびと」の発見
第3回 芸能史という宝物庫
第4回 未来で待つ人



(前略)ことばは思考の源泉であり、母国語の深みで私たちは思考を越えた存在の根にふれることができる。折口信夫の思考と文章をとおして、日本語というローカルなことばの全能力は開かれ、思考のことばが根になまなましいほどの感触をもってすれる奇跡が実現されている。(中略)柳田国男、折口信夫、南方熊楠の三人の巨人の頭脳と心が生み出したものは、日本人に残されたもっとも貴重な宝物である。私はこの宝物をしっかりと護り未来に伝える水の中の龍でありたいと願う。(私のこだわり宣言・奇跡のような学問/中沢新一より抜粋)


さて、テキストだけでも十分に読みごたえがありますが、やはり映像で訴えてくるものはまたひと味違っていて、中沢新一の話に吸い込まれるようにして世界に浸っており、また、びっくりするような“発見”をさせてもらっています。その体現はこれまで謎につつまれていたこころの中にあるいにしえ(根源の部分)がつつかれて、次々に解き明かされていくような気分です。そういった意味でひとことでまとめるのが難しい!

ところで、折口は師の柳田国男の考え方をいつも尊重していた一方、柳田は折口の「まれびと」の考え方に批判的だったそうです。二人の“神”に対する考え方が違っていたからということです。共同体の同質性や一体感を支えるものこそが神・・・先祖の霊こそがそれにふさわしいとした柳田に対し、折口が考えた「古代人」の“神”とは、共同体の「外」からやってきて、なにか強烈に異質な体験をもたらす精霊の活動であると考えた。さらに言うとそれは“神”以前のもので、上から降りてくるものではなく、水平にやってくるもの。「あの世」と「この夜」をつなぐ精霊の働き、これが「まれびと」のイメージへと結びついていった。折口の考えたこの「古代人」とは古代国家以前のとてつもなく古い心の働きのことを指す。文字の記録がはじまった奈良朝の時代にはすでに「古代人」のこころは理解されなくなっていた・・・と言うのです。

折口は夏至と冬至の祭りに注目しました。そして「ふゆ」ということばは、「ふえる」「ふやす」をあらわす古代語の生き残りと考えたのです。夏の盆では霊を客人として迎えるのに対して、冬は精霊の増殖と蓄えがおこなわれた。「花祭」「冬祭」・・・男鹿の「なまはげ」なんかもそうなのかもしれません。そんなことを思ったりしていると、祭がまったく違って見えてくるようです。
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by tsukinoha | 2006-11-23 07:00 | 日本の伝統文化

283 ひとやすみ

d0009581_6492676.jpgひとやすみ
NSP
キャニオン・レコード
(1974年9月)



1 春はもうすぐ
2 かげふみ
3 なんて空だろう
4 夜
5 仲直り
6 夕暮れ時はさびしそう
7 雪どけ水はつめたくて
8 一片(ひとかけら)の幸せ
9 くちづけ
10 冬がのぞいている
11 雪の精
12 いなかっぺちゃん
13 いい


代表作と言われている「夕暮れ時はさびしそう」が収録されているアルバム。
その他にも「春はもうすぐ」「かげふみ」「雪どけ水はつめたくて」など、みずみずしい青春の抒情を感じさせてくれる名曲揃い。長い影が晩秋の夕暮れを醸し出させているジャケットも印象的。

そして10代の私へとつながっている思い出。

中学3年の必修クラブは、3年連続して第3希望だった。
1年の時は、英語劇クラブ。2年時のおりがみクラブではもくもくと般若面なんか折っていた。
そして3年は日本画クラブ。この年に新任でやってきた美術の先生が日本画を専攻されていたとかで設けられたクラブだった。当時は日本画というジャンルがあるということがわかる程度の状態で、一体何をするのかは皆無だった(だいたい連続して第3希望だったので心情的にはふてくされて、活動に対してかなり消極的な気分だったと思う)。しかし、鉛筆の細密画という方法を教わり、はじめて顔料で着彩し、くさ〜いにかわで絵の具を定着させるという未知の体験に開眼させられた。

何かの折で、私がNSPが好きだという話をしたのだと思う。でも最近ファンになったので、全部の作品を聴いていない云々と・・・すると先生は『ひとやすみ』が録音されたカセットテープを貸してくれた。先生は秋田の出身だった。ラジカセから流れる叙情詩。それはあの頃の自分の“青春”そのもののような気がする。

クラブにはとても絵が上手な子がいて、私は自分の描く絵にいつもコンプレックスを感じていた。それでも先生はこのまま絵を描く方に進んだら?とまで言ってくださる。何故?「私は絶対に絵を描くことには進みません」と言い切っていた。この頃は高校を卒業したら就職するつもりでいたのだ。学校でする勉強ということに対して魅力を感じていなかったし、そんなあいまいな状態で進学できる余裕のある家でないことくらい15才の自分にはわかっていたつもりだった。・・・伝統があるということでは良い就職先に明るかった高校に進学を決めた。

ところが高校生活の3年で私は変わってしまった。数年後、絵は描かないにしても、結果かなりそれに類似した職業に就く事になった。やっとめざすべき修行がはじまったのだ。専門学校時代に一度だけ先生を訪ねて母校を訪れた。「絶対に○○しません」迂闊に言葉にだすものではないなぁ、などと思いながら再会のひとときを楽しんだ。
そして・・・
先生はもうとっくに学校を変わってしまい、以来お会いする機会もなくしてしまった。


最後に、サミエル・ウルマンの『青春』という詩の一遍を。

    青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
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by tsukinoha | 2006-11-18 07:06 | 音楽

282 七五三

11月15日の今日は七五三。
我が家では10日前に一足早く娘の七五三をささやかに祝いました。数えではなく満年齢です。
3歳の「髪置(かみおき)」、5歳の「袴着(はかまぎ)」、そして我が娘は7歳の「帯解(おびとき)」ということで、はじめてお化粧をしてもらい、髪を結いきものを着ました。
江戸時代の頃からこの3歳、5歳、7歳を祝う風習があったそうですが、七五三という名称が成立したのは明治以後。奇数(陽)の年を祝い事に使うのは中国の思想に基づいたものです。もっとも、「髪置」、「袴着」、「帯解」という儀式はそれ以前からあったそうですが。
15日という日は何をしてもおめでたい日とされていたこと、農閑期に入った11月の時期だということで、11月15日に定められていったそうです。と言っても最近では寒い地方では早めにお祝してしまう人が多いそう。11月っていったら寒いですもんね。寒い地方でなくとも、今は早めの休日に行う人の方が多いですよね。
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by tsukinoha | 2006-11-15 05:50 | 随想

281 遠野物語

先日放送の〈NHKその時歴史が動いた〉のテーマは、『日本を発見した日本人 柳田国男・「遠野物語」誕生』。「遠野物語」が誕生するまでの柳田自身のいきさつがとても興味深かい内容でした。

明治政府の新進気鋭の農政官僚だった若き柳田。「農民ばかりが何故貧しいのか」これには幼い頃経験した飢饉や農村で見た間引き絵などの原体験が元なっていました。貧しさから農民を救い出したいという思い。柳田は農の近代化・・・自立できる農業に意欲を注ぎます。しかしそんな思いで全国の農村を視察していた柳田に、ある日転機が訪れます。
宮崎県の山村、椎葉村(しいばそん)。ここでは古くから焼き畑農が続けられていました。焼き畑は稲作以前にはじまったと言われる古来からの農法で、山村の木を焼き払い、その灰をすき込んで雑穀などを育る自然の農法。灰が肥料となるわけです。1年目にそば、2年目にヒエやアワ、3年目にあずき、4年目に大豆。そして4年の輪作を終えると放置して山の地力が自然に回復するのを待つ。昔からの知恵が結集した焼き畑は、村人が助け合いながら連綿と続けられていたのでした。
この焼き畑に加え、古来からの儀礼を守ったシシ狩りが行われていました。月日によって入って良いとされる方角が決まり、山の神の使いである犬とともに狩りし、獲物を捕らえると山の神に感謝をする儀式が執り行われる。この椎葉村の人々の質の高さと精神性、山で富をいただくという畏敬の念に溢れた生活の様に、画一的な農の近代化を掲げていた柳田は衝撃を受けました。古来からあった伝統文化の中に日本人の歴史がある。それを見極めずして、国を変える解答など出てくるはずがない・・と。

折しも椎葉村に訪れた同じ年に、ある男から民話を聞かされる機会がありました。その男の出身は岩手・遠野。100を下らない民話が口伝によって現代へと伝えられていたことに驚きます。一方で、画一的で急激な近代化の波は地方にも押し寄せ、遅れているとされた農村の伝統的な生活文化を、捨てさせはじめようとしていた状況に、柳田は危機感に襲われた・・・今こそ失われゆく姿を書き留めなければならない・・・こうして「遠野物語」は誕生しました。

番組はゲストの作家・立松和平さんがレポートする椎葉村や遠野のお話を織りまぜながらの内容でした。立松さんは2週間前の「新日曜美術館」にもゲスト出演されていました。その時は正倉院の宝物への思いをかみしめながらお話されていたのが印象的でした。今回もとても朴訥なふうでいて気持ちに響いてくるお話をされていました。こんな感じで締めくくられていました。

私は「遠野物語」を人生の書として読んできた。「遠野物語」の冒頭はこうはじまる。

この書を外国に在る人々に呈す

この“外国”は地理的な外国ではない。柳田の時代に対する態度だった。私たちの精神の根底には伝承の物語がある。それをを忘れたら行くところがなくなるぞと。明治時代に柳田が抱えていたであろう危機感を我々のもう一度考えるべきで、現代は柳田の時代よりももっともっと深刻なのではないだろうか。自分たちは一体なんなのだろうか。アイデンティティが必要な時代なのだろう。だからこそ「遠野物語」はますます輝きをもってくるのだと思います。

d0009581_1334562.jpgこちらはおまけ。
映画「遠野物語」。
昭和57年。主題歌は岩手出身のあのグループです。
ジャケットはオシラサマですね。

忘れないで きっと
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by tsukinoha | 2006-11-11 13:39 | 随想

280 休日の後に

今日は立冬です。暖かな秋の日もそろそろ終わりでしょうか。
季節の変わり目風邪など召されませんように・・・。


月曜日。
起きてきた娘の左頬が腫れている。言っちゃ悪いがお饅頭みたいなおもしろい顔。
熱は平熱。虫歯ないけど歯かな〜?と思って「歯医者予約するから早めに学童に迎えにいくね」と出勤。今日は新しい勤務地に荷物が運び出されているので、セッティングとかいろいろ慌ただしくなりそうなのだ。
ところが・・・
出勤して間もなく小学校から電話。
「おたふくの可能性があるので・・・」と。
とりあえずいなくなってもいいように段取り。
本当におたふくだったら学校をしばらく休ませなければいけない。そういったことが起きた場合は自宅で仕事することにしているので、そのことも考えて、データをコピーしたり連絡をメールで流したり・・。

週末の学芸会も欠席かな〜とか、災害でも起ったら辿りつくのに何時間かかるんだろう!?などと思いつつ、小学校に到着したのは連絡もらってから2時間後。保健室で隔離されていた。
迎えに行ってすぐに小児科へ行く。
が・・・
「おたふくではありませんね〜。歯医者さんに行った方がいいですヨ」
結局歯医者を予約。おたふくでないとわかって喜んだ娘は医者に行くまでの時間、児童館へ遊びに行ってしまう。お母さんはなんのために仕事早退したのよ〜。
虫歯でない奥の歯茎の痛みは、おそらく永久歯が生えてくる前兆いうことで落ち着いた。
前日の七五三の疲れが出たのかな〜。
とにかく振り回された1日でした。(ぐったり)
何はともあれ、大事にいたらずに良かった。
でもそれってこれからおたふくにかかる可能性もあるってこと・・・。
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by tsukinoha | 2006-11-07 05:55 | 子ども

279 吉祥寺の曼陀羅

吉祥寺に着いた夕刻の時間、あたりはもう暗くなっていました。
それでも井の頭公園はギターえお抱えた若者やカップルらで、まだまだ宵の口といった感じ。
見上げると十三夜のレモン色の月が幻想的に浮かんでいました。

曼陀羅というのは、老舗ライブハウスです。
連休の初日、友人のバンドが出演するという連絡をもらい、久し振りに出かけました。前回行ったのは当然ながら娘が誕生する前だったので、バンドも曼陀羅も井の頭公園も、およそ10年振りくらいです。顔を合わせていなかった人との再会やら、友達の友達を紹介されたりと場はアットホームな雰囲気。
バンドはかれこれ20年近く活動をしているので、平均年齢も40歳を越えました。その分、若い人から大人までお客さんの年齢の幅も広がったようです。
20代当時、一人で見に(聴きに)きていた私が、7歳の子を連れて再び訪れる機会が訪れようとはとは夢にも思っていなかったことで、バンドが存続しているということ自体よくよく考えてみれば驚異です。ここだけの話、昔ダンナはここでコンガやティンバレスを叩いていました。そんな運命的なバンド(笑)のはずなのに、アコースティックな下町の香り漂う音楽がまったりとした空間を作り上げて、脳みそがとろけていきそうでした〜。最初演奏を楽しんでいた娘は、終盤子守唄になってしまっておネムに・・。挨拶もそこそこにいそいそと井の頭線に乗り込み家路につきました。


memo
2006.11.3
日本語ロックの原点発見!!
『SOMARS vs ジャンゴ』
吉祥寺・曼陀羅

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by tsukinoha | 2006-11-04 07:25 | 観光

278 霜月によせて

・・・もう11月です。
小学校では新入生の健康診断、児童館では学童保育の説明会が行われたよう。
なんて1年が早いんだろう!と実感します。
娘が6時で延長保育を終える時間はすっかり真っ暗になってしまいました。そんな中、街灯の灯で友だちとかげふみをしながら帰路に着く娘を見ていると、ずいぶんたくましくなったような気がします。
いつもは娘の帰宅時間ギリギリに間に合うように帰宅しているのですが、今日は帰宅途中で事故で電車が止まってしまい、あせりました。児童館に「鍵を開けて家に入っているように」と電話で伝言を頼んで、迂回してなんとか家路に着きました。約30分オーバー。がしか〜し、たまたま夫が仕事の途中で夕飯食べに帰宅してた(いつも突然)ので案ずることはなかったのでした・・・。



今日で銀座にお別れ。

・・・唐突ですが、勤務地が(また)変わるのです。
約3年前現在の職場に就いてからこれで4度目の移転!(2度の移籍もありました)所属部署にくっついて行きます。私の業務自体はどこにいようと変わらないんですけどネ。

歌舞伎座も見納め。来週から「鉄腕アトム」の発車ベルの鳴るかの地に通います。
どうでもいいことですが・・電車の発車ベル、蒲田駅は「蒲田行進曲」で、大井町駅は「四季(ヴィバルディ)」。なぜにヴィバルディかというと、当時の駅長の趣味だったとか!いいのかそんなんで・・・!?間に挟まれた大森駅も近々ご当地ソングになる予定とか。
みなさまの最寄駅は如何ですか・・・?


白川静氏がご逝去されたとのこと。ご冥福をお祈り申し上げます。
以前の日記から・・・
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by tsukinoha | 2006-11-02 21:18 | 随想

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