たまゆらデザイン日記

カテゴリ:日本の伝統文化( 28 )




239 伊藤若冲の魅力(新日曜美術館から)

先日の新日曜美術館は東京国立博物館の平成館で開催中の「若冲と江戸絵画展」に合わせた伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の特集。
若冲を発掘した碧い目のコレクター・プライス氏、若冲をはじめ30数年前の当時は見向きもされなかった江戸期の絵師(奇想の画家と命名)にかねてから注目してこられた辻惟雄氏をゲストに迎え、若冲らの魅力に十分に浸らせてくれる番組でした。
すでにカタログや書籍等を通して周知の内容もあるものの、番組内で語られていたことなどを記録しておきたいと思います。(多少筆者の脚色あり・・かも?)

・具眼の士(ぐがんのし)を千年待つ・・・若冲が残した言葉
価値がわかる人を千年待とうという意。しかし200年後ひとりのアメリカ人の若者(プライス氏)によって発見された。
・プライス氏と若冲の出会い
大学の卒業祝いにニューヨークにスポーツカーを買いに行ったはずが、古美術店で観た一幅の絵が忘れられなくなる。それが「葡萄図」・・若冲との出会い。美術についての知識もなく、どこの国の誰が描いたものかもわからず。
・建築家であり日本美術の優れたコレクター、
フランク・ロイド・ライトから学んだ自然学

ライトはプライス氏の父親と親交があった。自然の造形から学ぶ美。ライトの思想を吸収していった経験は若冲との出会いの下地を作ったと言える。
・日本語が読めないのが幸いしてか、感覚のみでコレクションしてきた(・・・かなりの鑑識眼をお持ち)
絵の面白さのみでコレクションしてきた。・・・結果それらは(エキセントリックな)江戸の絵師たちが描いたものに集中していたということになった。
・日本の絵の持つ魅力=自然の本質をいきいきと伝える
自然のもつもっとも美しいところをつかみ取り、引き出し、その中に磨きをかけ仕上げていく。
自然を慈ししみ、愛でるという意識が汲み取られる。
・絵にも描けない美しさという言葉があるが、
若冲の場合は絵にしか描けない美しさ
(by辻先生)


来日したプライス氏の通訳をされていたのが馴れ初めというエツコ夫人。
「私のいちばんのコレクションだと言われているんだよ」とプライス氏、ジョークをおっしゃっていました。
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辻氏が若かかりし頃、美術商から借りてきた二幅の絵を広げて、

「これらの若冲の絵は信じられないような安い値段で近く国外へ流出してしまう、日本人が忘れてかえりりみないうちにかつての浮世絵版画と同様、次々と海外の目利きに渡ってしまうだろう」(小林忠著・新潮日本美術文庫より抜粋)

と、当時の学生たち(小林氏はその中のお一人)に紹介したそうです。その逸話を持つ絵のひとつが、今回里帰りした「雪中鴛鴦図(せっちゅうえんおうず)」。若冲特有の粘着質の雪を纏った葦に、水に潜った鴛鴦の頭の影の表現がなんとも愛らしい絵です。展示の前で感慨深げな辻先生のお姿が印象的でした。
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by tsukinoha | 2006-07-26 21:27 | 日本の伝統文化

234 若冲の「鳥獣花木図屏風」

はじめてこの絵を観たのは、20代の半ば頃。画集かなにかだったと思いますが、その斬新な絵に驚いたのなんのって・・・。何故、こんなすごい絵が一般に知られていないのか。日本美術史という体系自体に疑問を持ちました。日本美術史が近代に作られた時、狩野派や琳派などの流派に漏れる、18世紀の京江戸中期の絵師たち・・・が永らく蔑視されていたと言うことが憶測できます。
「鳥獣花木図屏風」は、すでにその頃アメリカ人の日本画コレクター、ジョー・プライス氏の所蔵でした。
昨夜の美の巨人たちは、若冲作の水墨の「野菜涅槃図」の野菜たちが大平洋を船で渡り、プライス氏のコレクションになった「鳥獣花木図屏風」に会いに行くという、ちょっと滑稽でユニークな演出。真面目に野菜に話しかけるプライス氏が印象的でした(よくお引き受けになったな〜)。
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まるで前衛絵画のような・・・なんちゅうデザインなのでしょうか!(画像は右隻・部分)
驚くべきことにこの屏風絵はまるでタイルのように、升目に分割されて描かれているのです。
どこにも所属しない若冲はほんとうに「自由」だったんだなぁと思います。


プライス氏のご自宅の風呂場には特製タイルの「鳥獣花木図屏風」が再現されています。(野菜が風呂はいってたよっ)

日本に里帰りの若冲たち。
今日ほんものに会いに行きます。
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by tsukinoha | 2006-07-09 06:31 | 日本の伝統文化

229 甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと)

昨夜の「美の巨人たち」では、外伝・京都日本画ルネサンスと題し、円山応挙、池大雅、曾我簫白、与謝蕪村、長澤芦雪、伊藤若冲という豪華な顔ぶれでした。18世紀江戸時代。同時代に京の町に生きた絵師たち・・・これはすごいことです。全体的には導入編といった感じで、濃縮された30分でした。いよいよ来週は伊藤若冲の特集です。そしていよいよ4日からは東京国立博物館での開催「若冲と江戸絵画展」。



えー、話の本題はですね。またまた一週間前の「新・日曜美術館」(NHK教育)です。
いえ、録画しておいたのを昨日やっと観たものでして・・・で、こういうのは時間経っても内容に入りこめるから便利です。余談ですが「新・日曜美術館」にはホームページがありません!今どきかえって珍しいですね。

大正画壇で活躍した画家、甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと/明治27〜昭和53年)。
生涯かけて美人画の本質というものを追求した人です。
20代で描き上げた「横櫛」という作品で、歌磨の再来と絶賛されるも、やがてその絵は美人画の枠を越えていきます。美も醜も入り交じった生身の人間が合わせ持つような女性像。そんな絵は土田麦僊に「きたない絵」と非難されるに至ります。しかし甲斐庄は「きたない絵で奇麗な絵に勝たねばならん」と自らの方向を定め、それによって美人画の真実を導き出そうとしました。
美人画の題材に歌舞伎の楽屋に通いつめ、果ては自ら女形姿になり、女を知ろうとした楠音。昭和に入ってからは徐々に画壇を離れ、映画界でその才を発揮しました。昭和30年には溝口健二監督の『雨月物語』でアカデミー賞衣装部門にノミネート。


さて、甲斐庄楠音の妖艶とも、なんとも言い難い美人画に圧倒されるのですが、ゲスト陣にも圧倒されました。
新進気鋭の美人日本画家、松井冬子さん、そして編集工学研究所所長の松岡正剛さんです。おふたりが並んだ構図にびっくりです。松岡さんは病気をされてからなんか、お歳を召されたな〜という印象。でもひとつひとつの話になるほどと思わせるものは健在です。番組の終盤で語られたお話を要約しておきましょう。


通常の美人画というものは浄土(あちら側)を描いたもの。楠音は穢土(えど/こちら側)を描いた。
日本画の近代史は岡倉天心がスキャンダルで追放されて以来、大小の傷ついた歴史だと思う。きれいごとばかりでないもの(絵)がいっぱいあるはず。そうやって今一度(日本画の近代史を)見直さなくてはだめだ。



いわゆる全集などで知られることのなかった画家が、紹介される機会が多くなっているように感じる昨今。近年になってようやく見直されてきた・・・という絵がこれからも増え続けるのかもしれません。ここに歴史が価値観を変えゆく姿を垣間見ることができるのです。
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by tsukinoha | 2006-07-02 07:43 | 日本の伝統文化

187 桜児(さくらこ)の説話

まだ山に咲く桜が桜であった頃。古代の人々にとっての桜は、その年の吉凶を占う大切な農時の暦であり、聖なる樹でした。厳しい冬が去り、再び山にうっすらと色づく桜に生命の循環を写していたのでしょうか。

時代が下って、庭という「里の自然」に桜が降りてくると、桜にまつわる挿話も、より人間の心理に近づいたものになってくるようです。この、桜児(さくらこ)の説話もそれを象徴しているかのようです。

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美しいをとめ桜児は、二人の男に求愛されますが、男たちの激しい争いに悲しんだ桜児は、自分がいなくなれば争いも鎮まると、自らの命を断つことを選択します。
『万葉集』巻第十六では、残された二人の男が嘆き悲しんで詠んだといわれる歌があります。

春去らば 挿頭(かざし)にせむと 我思ひし 桜の花は散りゆけるかも 3786
  春になったら髪飾りにしようと思っていたのに・・桜の花は、もう散ってしまった・・・。

妹が名に 懸けたる桜 花開(さ)かば 常にや恋ひむ いや年のはに 3787
  桜の花が咲くとあの娘の名前を思い出す。
  そうして毎年、桜児(さくらこ)のことを恋い慕うだろう。



二男一女の物語の元祖ともいうべき話ですが、純粋すぎるほどの純愛を感じます。

8世紀、王朝の桜には、そこに華やぐ生命、儚い生命はあっても、死の影はない、と言われます。桜と死が結びつくことは、ソメイヨシノ以降に現れた美意識であると指摘されていることが多いようです。

私もそのように感じます。
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by tsukinoha | 2006-04-06 05:41 | 日本の伝統文化

185 コノハナノサクヤヒメ

今年も・・・桜にまつわる話をぼちぼちとしていきます。

桜についての一番古い記述は、おそらく、712年成立の『古事記』による木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)の話です。

高天原から日向の高千穂に降臨した邇邇芸命(ニニギノミコト)は、木花之佐久夜毘売を見初め、父親の大山津見神(オオヤマツミ)に結婚を申込みます。大山津見神は姉の石長比売(イワナガヒメ)とともに喜んで献上するも、イワナガヒメの顔の醜さに、姉だけを返してしまう。
しかし姉妹二人を彼に送ったのには理由がありました。
「イハナガヒメは石のごとく雪や風が吹いても微動だにしないように。コノハナノサクヤヒメは、桜の咲き匂うように栄えるように。しかしイワナガヒメをだけ送り返したことによって、花の様に美しいだけで儚い命となってしまった」
歴代天皇の命が長久で無いのは、そのせいであるとされました。

しばらくして、コノハナノサクヤヒメは身ごもりますが、ニニギノミコトは一夜限りの契りで孕んだことを疑います。そこで、彼女は出入り口のない産屋を作って入り口を塞ぎ、炎を放ってその中で出産をして、無事であればニニギノミコトの子であると誓い、それを証明してみせました。

生まれたのは、火照命(ホデリノミコト)=海佐知彦、火須勢理命(ホスセリノミコト)、火遠理命(ホヲリノミコト)=山佐知彦の三人。
そして、海佐知・山佐知・豊玉毘売(トヨタマヒメ)・・・へと、話は続きます。

これらを巡る話が、火(御子の誕生)と水(海佐知・山佐知の後日譚)を司るような事柄であるというのがが、興味深いところ。

コノハナノサクヤヒメは美しく咲き栄える木の花(桜)の化身。
霊峰富士に祀られているそうです。



追記・・・
文献の中で「桜」という字が最初に使われたのは、『古事記』下巻に出てくる「若桜部臣(わかさくらべのおみ)」。その「若桜部」起源は『日本書紀』に語られているそうです。小川和祐著『桜の文学史』より。
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by tsukinoha | 2006-04-03 21:43 | 日本の伝統文化

171 春のやよいのこのよき日

近隣では梅が見頃ですが、今日は「桃の節句」です。
もとは平安時代頃に発生したといわれる、五つの節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)のうちの「上巳(じょうし)」の節句。この日、野山に出、摘んだ薬草で穢れを祓う行事が、宮中の「ひいな遊び」と融合し、やがて我が身の災厄を流す「流し雛」へと変化していきました。
現在のひな飾りは、後に「桃の節句」となった室町以降の、武家社会や裕福な商家の風習が源流になっているそうです。

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葛飾北斎や長澤盧雪の「西王母」や、与謝蕪村の「桃源郷」。
桃花は、忘れ去られた江戸の文人思想の残り香のような気もします。



白酒、甘酒が苦手です。
でも日本酒や濁り酒は好き。
もともと強くはないけれど、子が生まれてからというもの、全然呑まなくなったので、ますます弱くなりました。

春のやよいのこのよき日

by うれしいひなまつり
1936年 サトウハチロー作詞・河村光陽作曲

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by tsukinoha | 2006-03-03 05:41 | 日本の伝統文化

156  美の巨人たち—川瀬巴水

数年前、明治・大正の風景(水辺の、という限定)浮世絵をテーマにした、大型カレンダーの制作を手がけた機会がありました。
書物や画集などを通して、江戸浮世絵には親しんだ感がありましたが、近代ものは私にとって、その時がはじめての密なる出会い。
小林清親、吉田博をはじめとした作家陣、なかでも群を抜いて多くセレクトすることになったのが、川瀬巴水。12ヶ月のうち、8ヶ月分は、川瀬巴水の版画で構成することになりました。
さて、私は選択された12ヶ月の絵の並びを見て、そこにから醸し出される、北斎や広重の風景版画とはあきらかに違う雰囲気を、ぼんやりと感じていました。

そのとき感じた、江戸浮世絵とは違う雰囲気の正体。それが、新版画と呼ばれた、江戸からの伝統を踏襲しつつ、画家の描いたものを忠実(リアル)に再現するという、新しい手法を追い求めた技術であるということを後に知ります。明治時代、海外に流出する数々の浮世絵に心を傷め、日本の伝統工芸の灯を途絶えさせてはならないと、自ら版元にと奮い立った若き渡邊庄三郎の存在がありました。

年齢が行き過ぎているという理由で、一度、鏑木清方の入門を断られた失意の巴水は、洋画を学んだそうです。それでも日本画を諦めきれず、再度門を叩き、許された頃、27歳になっていました。しかし、後にそれらの経験が、日本画でも洋画でもない、川瀬巴水の新版画を生み出す糧になったのです。

そして川瀬巴水と渡邊庄三郎との出会い。
川瀬巴水の新版画は、作家、版元、優れた技術を持つ職人によって実現しました。木版画という芸術は協同作業で生み出されるものなのです。

番組で紹介されていた『馬込の月』は、地元のパンフレットの表紙にもなっています。もはやこのような風景は見られない、現代の馬込の景色に、郷愁を写します。
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最新号のタウン誌『おとなりさん』では、今月号の表紙に。(『池上本門寺』/昭和6年)
奇遇にも、先日記事で取り上げた、北原白秋が特集。
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現在三代目、銀座の渡邊木版美術画鋪は、海外にも有名。
そして、『美の巨人たち』今週の一枚の絵を。
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by tsukinoha | 2006-01-30 22:47 | 日本の伝統文化

132 風流無くてななくせ

異常な混雑振りを見せた北斎展も本日終了。
こんな寒い日も順番待ちはあったのでしょうか…。ぶるぶるっ。
思えば人ごみを避けるように進んでいった展覧会でしたが、人物の大首絵(北斎には珍しい)の、『風流無くてななくせ』を間近に見ることができました。カラス口かロットリングの0.1ミリ罫かというくらい細い細い線の緊張感!版画の技術たるや驚異といいましょうか。
しかし「そんなのは氷山の一角で、そういう技術を持っている人が当時は大勢いたということなんだよ」と、家人はのたまうではないですか。(わかってるって…)
印篭や根付の優れた技術を思えば、こんなことはたやすいことだったのかもしれません。
そういえば高橋松亭展(ブログ記事117、126) で行われた浮世絵版画の摺師の実演時、

「浮世絵版画では、彫師や摺師の名前は出てこないですね」

という質問がされていました。
職人さんがどのように答えられていたかは残念ながら聞こえなかったのですが、私流の解釈ですが…それ(名前を露出しないこと)が、職人の「いき」というものなのではないかと思いました。そういった意味で、美術館や博物館という場所は、無名の大勢の職人の「いき」が聞こえてくる場でもあります。

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by tsukinoha | 2005-12-04 16:36 | 日本の伝統文化

130 雪の文様

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12月を迎えたので、ちょっとだけ衣替え。
ついでに雪の文様にまつわる話。d0009581_516314.jpg


小袖や狂言の装束、蒔絵や印篭に至るまで、日本の伝統工芸と呼ばれるものでは、さまざまな雪の結晶をデザイン化した文様を見ることができます。
それらは江戸時代につくられたものです。
ということは、この時代の人々はすでに雪の結晶を知っていたということです。
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天保6年(1836年)雪国の民俗学『北越雪譜』が刊行されました。現在、岩波文庫などで見ることができる本書でも、冒頭でいくつかの雪の結晶のスケッチが紹介されています。
そして、さらに遡った天保3年(1832年)、『雪華図説(せっかずせつ)』という記録本を刊行した殿様がいました。
大名の公務をぬって結晶を観察をすること20年余。雪が降ると外へ飛び出し、黒漆器にうけた雪を、顕微鏡で検視しては結晶をスケッチ。掲載された結晶図は総計183種。
殿様の名は、下総国古河(しもうさ・こが/現在の茨城)藩主・土井利位(どいとしつら)。d0009581_517194.jpg正・続2編から成り、写生した結晶図をはじめ、結晶のできかた、雪の効用などが記されているという本書は、日本初の雪の自然科学書と言われているそうです。

下総とは千葉県北部と茨城県の南西部にあたります。現代のこの地域は観察ができるほど雪は降らないと思います。おそらく現在よりも寒かったのでしょうね。

ちなみに日本に顕微鏡が伝来したのは1765年頃 (明和2年)。数台の顕微鏡持参したシーボルトは1823 年(文政5年)に訪日。

『雪華図説』の刊行によって、またたくまに江戸人に文様化された雪の結晶。
その六角形の神秘的な美しさに惹かれるのは、今も昔も変わりませんよね。
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by tsukinoha | 2005-12-01 05:36 | 日本の伝統文化

102 和楽は北斎

地下鉄の出口を出たすぐそこに、一般売りの歌舞伎座の来年のカレンダー見本が。

何故、ごっついサンセリフ(ローマン体のように、くびれのあるものはセリフがあると言う)の書体を使用するのか。
役者の錦絵にバックの地色は必要か。または色の選択が適当ではないのではないか。

街で目にするグラフィックに、瞬時、職業病の症状。

さて、そんなこんなで、毎日気になる歌舞伎座の前を素通りして、昼休みに急いで書店へ。
「和楽」11月号、北斎の特集を手に入れるためです。
まず、表紙ですが、一般に思い浮かべる北斎とはちょっとひと味違います。
肉筆の『不二図』に北斎漫画の特殊印刷(エンボスのように浮き出している)。
王道を行く芸術新潮の光琳の『燕子花図屏風』とは違い、少しマニアックな印象です。ステイタスさを求める和楽の読者層に反映させている、のでしょうか。きっちりデザインと編集されている紙面構成は、エディトリアルの大御所、木村裕司氏のデザインということで納得。とにかく贅をつくした内容。特集総ページ数36頁。
解説に小林忠氏、山下裕二氏、年譜と、おさえるべきところはおさえています。「和楽」は女性向けの雑誌ではありますが、北斎ファンならば(でなくとも)、その魅力に引き込まれるのではないかと思いました。

余談ですが、わけあって平和島から馬込まで歩いて、今日は疲れました…。
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by tsukinoha | 2005-10-07 22:34 | 日本の伝統文化

日々のよろずデザイン観
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