たまゆらデザイン日記

044 燕子花図屏風

尾形光琳。古美術に詳しくなくとも、その名を知らない人はいないくらい有名なお方。実生活においても、日本史上初、女性関係で訴えられたという(文書が残されている)ことで有名。生家が京都の雁金屋(かりがねや)という呉服商の三兄弟の次男だった光琳は当世のボンボン。莫大な遺産を相続するも、放蕩の限りをつくして家を破産させ江戸へ逃亡。しかし、陶工として名高い弟の乾山(けんざん)とともに、光琳は後に江戸期を代表する絵師として、その人生の逸話とともに名を残すことになります。晩年に故郷で仕上げた「紅白梅図」(熱海・MOA美術館)は超有名。

金箔地に濃藍で描かれた「燕子花図屏風」。
この絵の主題となったのが、伊勢物語の八橋(やつはし)の下り。燕子花に八つ橋が架けられた「八橋図屏風」(メトロポリタン美術館)も名画として名高い。

三河国八橋といふ所に至りぬ。そこやつはしといふことは、水のくもでにながれわかれて、木八つわたせるに、木かげにおりゐてかれいひくひけり。その沢にかきつばたいとおもしろくさきたり。それを見て都いとこひしくおぼへり、さりけれはある人、かきつばたといういつもじをくのかしらにすへて、たびの心よめといひければ、
    から衣きつつなれにし妻しあれば遥々きぬる旅をしそ思ふ。
と読みければ、みなかれいひのうへに涙落してほとびにけり
                        (伊勢物語)

〈現代語要約 by tsukinoha〉
三河国八橋。水がくものように別れているところで橋を八つ架けているから八橋という。水辺にはカキツバタがとてもきれいに咲いていた。道中のひとりが、かきつばたの文字を句において旅のこころを詠めというので

   らころもを てなれしたしんだ まをおいて るばるきた びをおもう
と詠むと、皆、都に置いてきた妻を思い、木かげで食べていたおべんとうの上に涙をぽろぽろこぼした。

八橋は物語の主人公、平安貴族の好色と謳われた在原業平(ありわらのなりひら)の東下りの一場面。屏風絵や工芸などに平安時代の王朝文化を取り上げるという傾向は、桃山後期に古典をビジュアルで復興させた本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と俵屋宗達(たわらやそうたつ)の大きな余韻が一世を風靡していたことに関係しています。他聞にもれず影響を受けていたであろう光琳は、古典趣味の枠を超えて、京を後に江戸に下った自身の身の上と八橋の物語を重ねあわせていたのかもしれません。いくつもの「八橋図」を描いたという事実は、この主題をいたく愛していたということなのでしょう。
それまでにない屏風絵の斬新な燕子花のモチーフは、幼少から雁金屋の新しいモードを要求される環境で養われたことと無縁ではありませんが、八橋さえも排除してしまった「燕子花図屏風」は、その絵を観るもの自身が橋の上にいるという視点で描かれたものなのではないでしょうか。ここに光琳の絵師としてのたましいが迫ってくるようです。国宝だから、有名だから、という認識は、観賞眼を曇らせるようではないでしょうか。
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     左/美術史を俯瞰する著作に取り上げられることも多い。『カラー版日本美術史』 美術出版社
     右/さらにトリミングして光琳に怒られるでしょうか。とある出版物の見開き。

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by tsukinoha | 2005-06-25 06:39 | 日本の伝統文化

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