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たまゆらデザイン日記

574 系統樹の森

家に飾ってある唯一の絵。
それは贔屓にしているジャパネスクでもなく、
ミニアチュールのようなデザインを感じさせるものでもなく、

フォロンの「生命の樹」なのだった。

ファンタジックな透明感ある水彩画と
哲学を漂わせるテーマが独特の世界観を持つフォロン。
生前いちどだけ展覧会に出かける機会があった。
ジャズのアルバムでも見かけて
ジャケ買いしたのもだった。


574 系統樹の森_d0009581_7293389.jpg









●HEADLINE スティーブ・カーン(1992)


「松」をテーマにした冊子の制作をしていた時に、
常緑樹(=永遠の生命)という視点で歴史を辿るページの構成の骨子としたのが
他ならぬ「生命の樹」の樹形図だった。
アートディレクターの師のもと、
デザイナーとして苦しみの日々を送っていた時代のことだ。
まず土台となるレイアウトを作成後、
それに沿って、当時たまたまアルバイトに来ていた
中国人画家に水墨で樹を描いてもらうという
今考えればすごく贅沢なことをしていたのだった。
そんな思い出とともにある「生命の樹」には
やはり特別な想いがある。



久し振りに竹尾のショールームを覗く。
「系統樹の森」が開催中。
杉浦康平監修となればやはり気に留めておきたい。

はがきサイズの特殊加工の印刷見本の持ち帰りができる。
文具店などでみかけるポストカードよりも
よほど魅力的なもの。
細部にまで神経が行き届いているのは
杉浦さん一派のデザインならでは。

11月22日まで竹尾本店見本貼で開催。


●フォロン(1934-2005)ベルギー生まれ。
建築学を学んだ後、転向、という経歴が、杉浦さんと同じ。



# by tsukinoha | 2013-10-13 07:32 | 展覧会

573 坂野いづみ展「手織りのブランケット」

展覧会のダイレクトメールが届いて
初秋の表参道のギャラリーを訪ねました。


東京での3年振りの坂野いづみさんの個展。
手触りのよい手織りのブランケットは、
展示して置かれてあるのと、
実際羽織ってみるのとでは印象が全く違って、
予想もしていなかった色が案外似合っていたり。
既製品ではない贅沢がそこにはありました。
きもちまでやわらかくなってしまう。
ブランケットは坂野さんの分身だな、と思いました。


3年振りの再会。
坂野さんはむかーしの同僚でした。
一緒に仕事をしていた期間は長くはなかったけれど
過去私がいちばん激しく厳しい環境のなかで一緒に過ごしたときは、
単純に時間では測れないほど濃厚なもの。
デザイナー職から織物作家への転身は
一大決心だったのだと思います。


手みやげにいま私が贔屓にしている
シンガーソングライターのCDを手渡しました。
自分の趣味を相手に伝えるということは
押しつける気がしてあまりしないのだけれど、
たまにはいいかな?と思って。
気に入ってくれるといいな。


開催3日目にして、
ブランケットはけっこうなくなって(売れて)いていました。
つぎこそは私も手元に置けるように
ブランケット基金、貯めておきたいと思います。
http://www.transit.ne.jp/contents/info/2013/09/izumisakano.php



# by tsukinoha | 2013-09-29 08:07 | 展覧会

572 長月の空

九月になりました。

空が遠い。

あなたはその向こうにいるのかな。

声はこんなに近いのに。

「きれぎれの空から」天野滋 詞・曲/NSP



# by tsukinoha | 2013-09-02 22:28 | 音楽

571 特別展 和様の書

「和様の書」とは、中国からもたらされた書法を日本の文化の中で独自に発展させた、日本風の書のことです。(展覧会案内より)

絵画などに比べると「書」というのはずいぶん地味な存在らしく、
特別展でありながら余裕の鑑賞ができる状況。
かた苦しい感じがする、とか、
あまりにも身近すぎてわざわさ足を運ぶ気にならない、とか、
容易に想像はつく。

「書」は、「言葉」を、「日本語」を、表現する意匠であり、
今の日本を構築してきた根っこの部分であるとも言える。
それは芸術の分野だけにとどまらず、
日本人そのものをつくってきたと言っても過言ではないかと思う。

文字をもたなかった日本人は、
中国から輸入された漢字を中国語としてではなく、
自国の言葉にあてはめるという技をやってのけた。
やがて漢字から「かな」と「カナ」が発生していく。
古今和歌集による「かな」の公文書が認知された頃を境として、
「書」は、中国風の楷書から日本風の行書~草書の道を辿る。

粘葉本和漢朗詠集(でっちょうぼんわかんろうえいしゅう)の、
贅をつくした料紙にしたためられた、
藤原行成(ふじわらこうぜい)の流麗な和歌の筆跡は、
「かな」が「幽玄」とか「もののあわれ」と言われる
平安時代に生まれた美意識そのものを
表しているのではないかとさえ感じる。

注目したのは、桃山時代の『檜原図屏風』。
「初瀬山夕越え暮れてやどとへば 三輪の檜原に 秋かぜぞ吹く」
和歌が屏風に大胆に書かれているものの、
(三輪の檜原に)の部分にあるのは書ではなく、
長谷川等伯(はせがわとうはく)の檜の画。
画と書が一体となっている。
つまり、配置(レイアウト)を意識しており、
さらには、ここにすでに「見立て」という文化をみることができる。
同様の手法は蒔絵箱などにもよくみられる。
遠い時代、すでに編集という視点と、
高度なあそびごころを持った先人たちに敬服するばかりなり。

東京国立博物館にて 2013 7/13~9/8



# by tsukinoha | 2013-08-18 18:24 | 展覧会

570 版画家・浜田知明(2013/8/4日曜美術館から)

〈序〉ネット上でも話題になった田上富久長崎市長の「長崎市平和宣言」より。

被爆者の平均年齢は78歳。

今の若い世代は、被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代だ。

そして、いまの50~70代(若者たちの親世代)は、
彼らと被爆者をつなげることができる最後の世代。

急がないといけない。




版画家・浜田知明に感銘を受ける。
淡々と語る姿ゆえか、ことばひとつひとつが深くて重い。
記憶として記録しておきたいと思う。

・風刺画がすぐれた絵画であるためには、背後に作家の厳しい文明批判、そして人間に対する深い愛情が描かれていなければならない。

・(老婆の彫刻を前に)裸婦といえば展覧会に行くと豊満な若い女性ばかり。ほんとうの美とは表面的なものではない。真実をつくっていくのも芸術の仕事。花が咲いている桜を見に行っても、裸の木を見に行く人はいない。芸術家というのは、花を愛でるのと同じ花のないはだかの木の美しさも見なければいけないのでは。

・もしも戦争に参加しなかったら、戦地を踏まなかったら、ぼくの芸術観はもっと変わっていたに違いない。体験によって人生観においても作画する態度においてもぼくはそれを切り離してものを考えることができなくなってしまった。

・会者定離(えしゃじょうり・・・会うものは必ず離れる)をテーマにしたいが、難しすぎて作品にならない。どういうふうにやれば人に伝えられるのか。まだ解決策が出ていない。


これらが、95歳の言葉とは!
溢れるものをとめることができず。



# by tsukinoha | 2013-08-13 21:58 | 随想

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